なんでこうなるの、ということがままある。
  
 
 
 
「クミちゃん、今年、八方ふさがりって年らしいよ」とお正月に入ってきた、そのお寺のチラシを見て、母親にそう言われ、知らなけれなばそのままだったのに、知ってしまったので、なんだか気になって、そんならともっとひどい「暗剣殺」という星巡りの事務所のヒラグリを誘って出かけたけど、まだ新年になっていない(このお寺では2月3日から新年)ので厄払いできないから、また来てくださいといわれ、とりあえずお金だけ前払いして帰ってきた、それが先月末。
 
 
 
このあたりのことは、先月ここでも書いたけど。
 
 
そんなわけで、今度こそと昨日、お寺にとことこ出かけた。
 
 
 
 
立派なお堂に入っていくと、家族連れもいっぱい。
 
ちっちゃな子供もたくさんいる。
 
 
 
ぼこぼこ、ぽこぽこ。
若いお坊さんが「もくぎょ」を叩き、なんみょうほうれんげいきょう。と繰り返す。
 
 
 
あれ、ここって日蓮宗かあ。
 
はじめてその時気づく。
 
 
 
なんとまあ罰あたりな。
 
 
 
 
事の次第がわかっていない私は、わかっているように目を閉じる。
 
 
ううむ。なんか良い感じではあるなあ。
 
 
 
 
やがて。
 
順番が来て、他の方々と共に、厄払いの儀式へ。
 
 
 
また。
ぽこぽこと始まるが、今度の若いお坊さんは、ちょっと違うリズムを繰り出す。
 
たたたたたたたたた。のまるでラップのようなグルーブがある。
 
そこにお経を載せるのだから、興奮しそうになる。
 
 
 
奥深いんだなあお経って。
 
 
もう一人の若いお坊さんが前に進み出て、火打石をぱちんと鳴らす。
 
火花が見える。
 
清々とした気持ちになる。
 
 
 
そして、厄払いをお願いした一人一人の名前が読み上げられる。
 
 
なんしょうなになに、どこどこなんねんなんがつなんにちにしょうじ。
 
 
どこどこの男性であるナントカさんは、いつ生まれて、それでどういう厄除けを祈願しているのかということを言っている。
 
 
なんしょうは男性、にょしょうは女性、つうことだ。
 
 
 
私の名前も読み上げられ、やれやれこれで終わったとホットする。
 
もう怖いものがない気がする。
 
 
 
 
儀式が終わり、「お札」がそれぞれに渡される。
 
 
これこれこれですよ、これをいただきにきたんですよ。
 
 
「おせんべえだあ」
隣で子供が叫んでいる。
 
どうやら、お札におせんべいが添えられているらしい。
 
 
 
ほう、なるほど。
と待つこと数分、片付けが始まった。
 
 
あれ、あれ、あれ。
 
がらーん。
 
遠くにいきかけたお坊さんをつかまえ。
 
あのお、あたし、もらってないんですけど。
 
 
 
ええ?
 
 
あたし、名前は読み上げられたんですけど、お札いただいてないんですけどお。
 
 
ええ?
 
 
 
あわてるお坊さんたち。
 
 
 
 
誰もいなくなった広間で、心もとないので。
真ん中におられるデカい仏像ににじり寄り、尋ねる。
 
「和尚さまあ、あたしってだいじょぶでしょうか」
 
 
和尚さまなんて呼び方していいのかどうかわからないけど、よいような気がする。
 
 
 
 
やがて。
 
 
若いお坊さん二人が。
 
「すみません。あと一週間お待ちください。それからご自宅に郵送いたしますから」
 
「一週間?」
 
 
ちょこちょこっとお札に名前書いて包んでそれで渡せるってもんじゃないらしい。
 
 
きちんとそれなりの儀式を経て、木片はお札に変わるのだ。
 
 
 
 
なんとありがたい。
とは思ったけど、あたしって結局ハジカレちゃったんじゃないでしょうか。
 
 
こんなことって、ままあることなのかなあ。
 
 
がっくりきたので、帰りにぜんざいを食べる。
 
 
 
 
帰ってきて、ネットで調べると。
 
このお寺の厄払いはとても有名なものらしい。
 
そして、あのデカい仏像こそ、日蓮大聖人さまで、それを目にすることでもご利益ありという、
それはそれはありがたいものらしい。
 
 
 
それを和尚さんなんて気安く呼んじゃって・・・。
 
 
 
やっぱりバチアタリな私だったのだなあ、きっと。
 
 
 
とまあ、ここまで書いて。
 
なにもお寺名を隠すこともないことに気づきました。
 
 
堀之内の妙法寺さん。
 
 
 
なかなかにオモシロイお寺です。
 
境内に入っただけで厄除けできるとも書いてあります。
 
 
お近くにいらしたら、皆さまもぜひ。
 
 
 
 
早く来いよお、お札ああ。