母親が、一緒にスーパーに行きたいという。
私の足で片道7,8分の距離。
背の曲がった母親だと、なかなかにキツイ距離。
昨年の暮れ、久々に連れていったら、疲れたものの、気分転換にもなるし、以前のように行けたという自信にもなったらしい。
なのでまた行きたいということらしい。
こっちのカラダがちょっとダルいなど、言ってられない。
老人の「やる気」を無下にはできない。
買い物カートを間にして、それにつかまらせて歩く。
幸い風もない穏やかさ。
骨折前には、自転車でなんちゅうことなく通っていたスーパーだけど、今はそれができない。
もともと勝気なところのある人なので、どれだけ悔しいことか。
二人で歩いていると、不思議な既視感を覚える。
この瞬間を、どこか遠くで見ているような。
ああ、あの時のあの時間が、なんて懐かしく愛おしく綺麗だったことかと思っているような。
そんな既視感。
冬の日差しの中で、そんな感覚をしっかりと胸に抱く。
これがきっと宝物かもしれない。
これからの宝物かもしれない。
ふうううと、無事家にたどり着くと。
あれ、加湿器が壊れてる。
水が溜まっている。
昼ご飯を済ませて、今度は加湿器を買いに行く。
今度は自転車を飛ばして買いに行く。
ついでに、母親の背に合うような低反発クッションセットも買う。
その両方をぶら下げながら自転車を漕ぐ。
「ああ、良かったあ」
新しい加湿器に老人二人が喜ぶ。
その笑顔。その言葉。
きっとこれも宝物の記憶になる。