形あるものがなくなる。
震災後の津波で、いやというほど見てきたことだった。
そして、今回の糸魚川の大火。
形あるものを探して、被災者の方々が自宅の焼け跡を訪れている。
「いやあ、もうなにも残ってませんね」
なああんにも残っていない、と言う被災者のかたがたは、皆さん一様に、ぽかーんとしておられる。
信じられない出来事を前に、人はこういう表情になるのだなあ。
いやいや、これは、辛抱強いこの地域の方々の表情なのかもしれないなあ。
いやいや、それだけではなく、死者が出ることがなかったという、不幸中の幸いのせいかもしれないなあ。
「アルバムも焼けてしまいました」
子供の小さいころの大切な写真は、こうして永遠に消えてしまった。とお父さん。
でもね。今生きているから。
これから生きていくから。
伝統ある酒蔵も焼けてしまった。
これから、春にむけてみずみずしいお酒が出来上がる、そんな時期だ。
酒蔵という神聖な場所に、昔入れていただいたことがある。
いくつもの大きな樽がならび、そこにハシゴであがり、一つ一つの味の違いを教えてもらった。
透き通った「日本酒」が出来上がるまでの工程。
この国のお酒は、もうこの国の文化そのものなのだと感動した。
その酒蔵もその後、火事に襲われた。
関東の名酒が、これで消えてしまうのかとみんなが嘆いたけれど。
ちゃんと復活したのだった。
そのことを思い出し。
「加賀の井」さんの復活を信じた。
糸魚川の復活を信じた。
形あるものは消えてしまったけれど、形のない大切なものは永遠に消えない。
心ひとつずつ。
魂ひとつずつ。
それが寄り添って、いつかまた形になる。
きっと、なる。