父親から電話が来た。



これまでなんともなかったテレビが映らなくなったというのだ。



ははあん、次はこれだな。





突然、これまでできてたことができなくなる。



こういうことの積み重ね。






両親の家に行き父親のテレビをつけると。



ざざざざと、なんだか昔こういう画面がよくあったような、そんな懐かしさ。



父親が手にしているのは、テレビ用のリモコンで、これはまず違う。




今はJcomなので、それ用のものじゃないとダメだ。





これまで使っていたリモコンを探すと、確かにある。




でも、父親はそれを、これまで使っていたかどうかどうもわからないらしい。




「変だなあ、変だなあ」


と、すっかり自分自身に嫌気がさしているようだ。






私は、このごろ、すっかりこういうことに慣れてきているので、動揺もせず。



「大丈夫、大丈夫」とリモコンを操作する。





そのリモコンでも、どうも今一つ、これまでと違う。



でもまあ、映るようにはなった。





その操作方法を紙に書く。



わかりやすく書いたつもりだけど、父親はなかなか納得できないらしい。






彼は、エンジニアだったのだ。


機械の設計図面を描いていたのだ。




今でも机の引き出しには、計算尺やら分度器やらがある。




数年前まで「ボケ防止」と称して、微分積分の問題など解いていたのだった。


そんなこと思うと、ちょっと悲しくなるので考えない。




どんどん考えなくしている。







今は今。



できる限り、ニコニコ普通に対していることが何より良いのだと思う。





それにしても。




このリモコンてやつ。



もうちょっと老人に優しくしてほしいなあ、




こんな小ささじゃ、ちゃんと押せない。








昔のように、スイッチ一つで、切る入る、そんなことができればいいのに。




そう思うと、現代の「システム」に組み込まれた「今」が悔しくてならない。



もっと違うやり方もあったのかもしれないと思うが、それを見直す手間を思うと腰砕けになる。







まあ、しゃあないなあ。




穏やかに穏やかに。



老いとむきあい、つきあう。






やっぱり「愛」なんだろうなあ。




良かった、両親を愛していて。

そう思えることが、今は何よりの救いだなあ。









(あ。それと、昨日のブログについて。

「荒城の月」の作曲者は滝廉太郎ですが、山田耕筰さんが編曲したことで取り上げられました)