舞台の前と後と。
すっぴんで来られて、すっぴんで帰られる。
その見事なまでの切り替えに、その人生感が見える。
同い年の同じ星座。
私の「わが麗しき恋物語」を唄ってくださっていると聞いた。
その高畑さんが、息子さんの事件で記者会見をしている。
成人ではあるけど、責任は親にもあります。
高畑さんは、涙を振り払うようにインタビューに答える。
この「責任」論。
また出たな。
たとえ子供であっても、いい年をした男の性欲のことまで、親が責任をとれるのか。
私などは、すぐにそう思うけど、血を分けた母親にはそうもいかなのいだろう。
それこそ「身を切られる」ような辛さだろう。
子供のしたことに親はどこまで「責任」を持つのか。
アンケートによると「ずっと」というのが多かったらしい。
成人してもなお。
そういえば以前、それこそ「いい年」をして不祥事を起こした息子のために、仕事を追われた人気キャスターだっていた。
彼は「いい年の息子のことなんか責任とれますか」と言って反感をかった。
だけど、これは正しいと私は思う。
投票権だって18歳になってる時代だ。
親に責任を負わせなきゃならないニンゲンなら、まず投票権だっていらない。
自分のアタマで考え、自分で行動し、その責任は当然自分自身。
これができるからこそ投票権もある、と、それが「建前」のはずだ。
この国では、何かあるとすぐに「責任」というけど。
そういう時は、その矛先はたいていが、立場の弱い相手に向かっている。
本当に強い相手になど、そんなことできない。
それは、これまでのこの国の有り様をみればわかる。
今回、親の高畑さんも応援して息子が芸能界に出てきた、だから責任は当然ある。
という人もいる。
だけど、その息子を人気者にしたのは、視聴者だ。
オモシロイなあと思うから、人気者になった。
これはいいと思って、メディアは彼を登場させる。
それだけのことだ。
頬につたう涙を、ぐぐと払いきるように前を向く高畑さんの心中を思い、こっちもジンとする。
子供を持つというのは、本当に大変なことなのだなあ。
子供のいない私は、せめて年老いた親を大切にしなくちゃなあ。
すっぴんで来られて、すっぴんで帰られる。
その見事なまでの切り替えに、その人生感が見える。
同い年の同じ星座。
私の「わが麗しき恋物語」を唄ってくださっていると聞いた。
その高畑さんが、息子さんの事件で記者会見をしている。
成人ではあるけど、責任は親にもあります。
高畑さんは、涙を振り払うようにインタビューに答える。
この「責任」論。
また出たな。
たとえ子供であっても、いい年をした男の性欲のことまで、親が責任をとれるのか。
私などは、すぐにそう思うけど、血を分けた母親にはそうもいかなのいだろう。
それこそ「身を切られる」ような辛さだろう。
子供のしたことに親はどこまで「責任」を持つのか。
アンケートによると「ずっと」というのが多かったらしい。
成人してもなお。
そういえば以前、それこそ「いい年」をして不祥事を起こした息子のために、仕事を追われた人気キャスターだっていた。
彼は「いい年の息子のことなんか責任とれますか」と言って反感をかった。
だけど、これは正しいと私は思う。
投票権だって18歳になってる時代だ。
親に責任を負わせなきゃならないニンゲンなら、まず投票権だっていらない。
自分のアタマで考え、自分で行動し、その責任は当然自分自身。
これができるからこそ投票権もある、と、それが「建前」のはずだ。
この国では、何かあるとすぐに「責任」というけど。
そういう時は、その矛先はたいていが、立場の弱い相手に向かっている。
本当に強い相手になど、そんなことできない。
それは、これまでのこの国の有り様をみればわかる。
今回、親の高畑さんも応援して息子が芸能界に出てきた、だから責任は当然ある。
という人もいる。
だけど、その息子を人気者にしたのは、視聴者だ。
オモシロイなあと思うから、人気者になった。
これはいいと思って、メディアは彼を登場させる。
それだけのことだ。
頬につたう涙を、ぐぐと払いきるように前を向く高畑さんの心中を思い、こっちもジンとする。
子供を持つというのは、本当に大変なことなのだなあ。
子供のいない私は、せめて年老いた親を大切にしなくちゃなあ。