吉良さんが亡くなりました。

と、メールが来た。




ザバダックというバンド名で、ずうっと音楽を作ってきた吉良さん。



彼と会ったのは、「銀巴里」だった。



そのころの「銀巴里」には、シャンソン好き以外にも、いろんな人が来ていた。



ロック小僧のような人たちもいて、彼もその一人。





ぼくたちとバンドをしましょう。





そう誘われ、彼らの住む狛江に通った。






当時の狛江は、まだまだのんびりしていて、あちこちがスキマだらけだった。



そのスキマな感じが、気持ちよかった。





私は、当時、そのバンドのメンバーと「恋」の真っ最中だったので、なおさら幸せだった。








そうして。



バンドでは声を張り上げた。



張り上げて張り上げて、声が出なくなった。




それでも、張り上げた。







ロックしなきゃ、と思っていた。






吉良さんは、シャンソンの「涙」もアレンジしてくれた。





こつこつこつと、都会の靴の響きのようにはじまり、抑揚もなく、ただ淡々と言葉を唄う。



これが、このジャック・ブレルの名曲に、めちゃくちゃ合っていると思えた。







谷川俊太郎さんの詞や、他の詩人の作品にも曲をつけ、アレンジして。





すごい才能の人だなあと思った。




同じところにとどまらない。


ありふれたコードも破壊する。





あまりに才がありすぎて、コワいなあと思った。








それから。



彼は自分のユニットを作り。


私はまたソロの歌手に戻った。








一昨年だったか。




再会をした。


元夫のやっているライブハウスに出演するというので、出かけた。



元夫とも吉良さんとも、何十年もあっていなかった。








吉良さんは、若いころよりずっと優しい目をしていた。









彼のツイッターに写真がのせられた。




隣でアコーディオンを弾く奥さんの小峰さん。




背筋を伸ばして座る彼女を、敬意と愛情で包んだ写真だった。




人生のパートナーを、慈しむ写真だった。












そうして。



吉良さんは天国に行ってしまった。







彼の亡くなる前につぶやいた言葉。

「人間には空気がないと音が聴こえないけど宇宙は音楽にあふれてる気がするんだ。
音楽が宇宙の目的じゃないかとさえ思うこともあるよ」









もう吉良さんの魂は、宇宙にとんでいるんだな。


自在に自由に。





吉良知彦さん。


ありがとう。