自分の出演する番組の告知宣伝。
ふだんはやらない。
というか、たいてい忘れている。
そのくらい、いいかげんなニンゲンだ。
でも、今夜のものは、忘れない。
というか、新聞を開いたら、テレビ欄に私がいた。
無人になった街の学校でぼうと佇む私の写真。
4月と5月に行ってきたウクライナ、チェルノブイリのロケ。
これがこのドキュメンタリーになった。
記者の寸評に「寄り添うように話を聞くクミコ」とある。
いや、寄り添うことしかできなかった。といったほうがいい。
ロケの途中、何回もコメントを求められた。
でも、今思っても、ろくな答えをしていない。
答えがわからなかった、からだ。
こんなニンゲンをわざわざ連れてきて、大失敗だと思われても仕方ないな、そう思った。
なので、どういう仕上がりになっているのか、コワい。
若いディレクターの心に期待するしかない。
言葉のなくなる現実を、彼がどう映像という言葉にしてくれたのか。
今でも、答えがわからない。
どう答えるべきものだったかもわからない。
ただそこで出会った、そこで生きている人たちは、私たちと同じ今を生きるニンゲン。
手に触れ、背中に触れ、肩を抱き。
ああ。おんなじ。と思う。
結局。それだけだった。
BS朝日 「ザ・ドキュメンタリー チェルノブイリ30年、その現実」
夜7時からです。
どうかご覧ください。
きっと散々な顔してます、私。
ふだんはやらない。
というか、たいてい忘れている。
そのくらい、いいかげんなニンゲンだ。
でも、今夜のものは、忘れない。
というか、新聞を開いたら、テレビ欄に私がいた。
無人になった街の学校でぼうと佇む私の写真。
4月と5月に行ってきたウクライナ、チェルノブイリのロケ。
これがこのドキュメンタリーになった。
記者の寸評に「寄り添うように話を聞くクミコ」とある。
いや、寄り添うことしかできなかった。といったほうがいい。
ロケの途中、何回もコメントを求められた。
でも、今思っても、ろくな答えをしていない。
答えがわからなかった、からだ。
こんなニンゲンをわざわざ連れてきて、大失敗だと思われても仕方ないな、そう思った。
なので、どういう仕上がりになっているのか、コワい。
若いディレクターの心に期待するしかない。
言葉のなくなる現実を、彼がどう映像という言葉にしてくれたのか。
今でも、答えがわからない。
どう答えるべきものだったかもわからない。
ただそこで出会った、そこで生きている人たちは、私たちと同じ今を生きるニンゲン。
手に触れ、背中に触れ、肩を抱き。
ああ。おんなじ。と思う。
結局。それだけだった。
BS朝日 「ザ・ドキュメンタリー チェルノブイリ30年、その現実」
夜7時からです。
どうかご覧ください。
きっと散々な顔してます、私。