一週間ぶりに母親と病院に行く。



前回挿入したリングの具合を見る。




母親はどうにも痛いという。痛くて立てないという。



大きいから痛い。


当り前のことだけど、リングを小さくすれば、今度ははずれる。




ああ、人体の切なさ。






医師にネットで見つけたアレコレの器材を見せる。


驚いたことに、それらを全く知らないという。




「これ、取り寄せていただくわけにはいきませんか」


圧力団体風に言い寄ってしまう。




「ううん。こういうものは、こちらで会議にかけてそれからってことになるんですよね」



やはりそういうことか。






婦人科なら婦人科の、横のつながりの情報てのは、思ったより「ない」ということだ。




医療界ではしょちゅう学会学会とかいって集まってるけど、そんならこういう情報交換してほしいよなあ。と思ってしまう。




素人の患者は、やっぱりそう思ってしまうのであります。







とりあえず、プリントアウトしてきた資料を医師に渡す。



「わらにもすがる、って感じなんです」と言い添える。






来週には、良い知らせが、医師の口から出るといいなあ。




どこどこの病院ならこの施術ができます、とか、これ一回独断でやってみましょう。とかいう前向きな話。









もうずいぶん前、大腸がんで、私のおばちゃんはアチコチの病院に行った。


そして、最後、民間療法ではるばる久留米に行って、そこで亡くなった。



なんでそんな遠いとこなの。

私たちは思ったけど、「わらをもすがる」のが家族なんだな。





今は、おばちゃんの家族の気持ちがよくわかる。




久留米で録られたおばちゃん家族の写真は、それはもうとても良い写真だった。


ベッドのおばちゃんを囲む家族たちは、泣いてなんかいなかった。




わらにもすがること。そしてやれることをぜんぶやったこと。



後悔はどこまでも追いかけては来るけど、その時のみんなは笑顔だったんだもの。






私ももう一つ二つふんばらにゃあ。