コンサート終演後のサイン会。
ここでは、いろいろなかたとお会いできる。お話できる。
昨日の群馬玉村町。高崎の近く。
10年ほど前にも一回お招きいただいているのだが、ナサケナイことに記憶がない。
やはり、寄る年波、ってことかもしれない。
今回のサイン会は、ココロをゆさぶられることが多かった。
「前に一緒に来た友人がALSになってしまって。今日は一人で来ました」
お友達へのプレゼントだというCDにサインする。
ココロを込めてサインをする。
この病気にかんしては、身近な人たちも関係していて、もう他人事ではない。
iPS細胞の山中先生、早くなんとかお願いします!!
「生きている力がもらえたような気がします」
その言葉の深いトーンにCDから目をあげると、老夫婦お二人がじっと私を見ておられた。
このお二人は、きっと生半可ではない人生の森を歩いておられるのだろう。
静かに静かに歩いておられるのだろう。
「もう6年も主人の介護をしています」
そうおっしゃるご婦人は、今日来られるかどうか迷った末、来てくださった。
春らしい美しいお召し物の色に、毎日の涙を吸い取らせたような鮮やかさ。
私の歌など、たいした力など持たない。
でも、歌の花束の中の一つの花の、その花びら一枚が、ふううっとそれぞれの胸に降りていく様を思う。
あらあら、こんなところに花びらが。
そうして、そこからちょっとうれしい幸せな気持ちが、一瞬、そのかたの力になる。
そんな歌であればいいなあと思う。
うれしい出会いもあった。
ヤマハのポプコン。
その関東甲信越大会でご一緒していた男性が、その時の資料を手に。
そこには、私の写真も。
ああっ、これ24歳の私だあ。
お互いにすっかり中高年の仲間入りをしたのだけど、見覚えがある。
「ぼくら、パオファミリーでした」
「ああ、ああ、覚えてます!」
帰りの車の中で、コピーさせていただいた、そのポプコン新聞を読む。
そこで、世をすねたような風体と発言をしている私に、本質は変わってないんだろうなあと思った。
でも、少しは更生できたのかもしれない、そんな気もした。
遠方からも来てくださった皆さま、ありがとうございました。
春の嵐が過ぎたバレンタインコンサート。
きっと忘れることはないと思います。
ここでは、いろいろなかたとお会いできる。お話できる。
昨日の群馬玉村町。高崎の近く。
10年ほど前にも一回お招きいただいているのだが、ナサケナイことに記憶がない。
やはり、寄る年波、ってことかもしれない。
今回のサイン会は、ココロをゆさぶられることが多かった。
「前に一緒に来た友人がALSになってしまって。今日は一人で来ました」
お友達へのプレゼントだというCDにサインする。
ココロを込めてサインをする。
この病気にかんしては、身近な人たちも関係していて、もう他人事ではない。
iPS細胞の山中先生、早くなんとかお願いします!!
「生きている力がもらえたような気がします」
その言葉の深いトーンにCDから目をあげると、老夫婦お二人がじっと私を見ておられた。
このお二人は、きっと生半可ではない人生の森を歩いておられるのだろう。
静かに静かに歩いておられるのだろう。
「もう6年も主人の介護をしています」
そうおっしゃるご婦人は、今日来られるかどうか迷った末、来てくださった。
春らしい美しいお召し物の色に、毎日の涙を吸い取らせたような鮮やかさ。
私の歌など、たいした力など持たない。
でも、歌の花束の中の一つの花の、その花びら一枚が、ふううっとそれぞれの胸に降りていく様を思う。
あらあら、こんなところに花びらが。
そうして、そこからちょっとうれしい幸せな気持ちが、一瞬、そのかたの力になる。
そんな歌であればいいなあと思う。
うれしい出会いもあった。
ヤマハのポプコン。
その関東甲信越大会でご一緒していた男性が、その時の資料を手に。
そこには、私の写真も。
ああっ、これ24歳の私だあ。
お互いにすっかり中高年の仲間入りをしたのだけど、見覚えがある。
「ぼくら、パオファミリーでした」
「ああ、ああ、覚えてます!」
帰りの車の中で、コピーさせていただいた、そのポプコン新聞を読む。
そこで、世をすねたような風体と発言をしている私に、本質は変わってないんだろうなあと思った。
でも、少しは更生できたのかもしれない、そんな気もした。
遠方からも来てくださった皆さま、ありがとうございました。
春の嵐が過ぎたバレンタインコンサート。
きっと忘れることはないと思います。