覚せい剤。


先だって見た古い日本映画の中で、いともたやすくこの言葉が出てきてた。



「覚せい剤、飲んだからもう大丈夫だ」とか、そんな感じ。



血を吐くほど、売り上げを伸ばさなきゃいけない、モーレツサラリーマン。


その人のセリフだ。






この映画、たかだか半世紀ほど昔のもの。

高度成長期の頃のもの。





おそらく、この「覚せい剤」はビタミン剤みたいなものなのかもしれない。


あるいは、もっと危険だけど、とりあえず元気になれる錠剤なのかもしれない。





まあ、いずれにしても、これから後「覚せい剤」っていうのはダークな薬物を指していく。






清原元選手についての、いろんなコメンテーターの言葉がある。




昨日、そんなワイドショーをぼおおっと見てたら。


「彼の寂しさを、ちゃんとわかってあげる人がいなかったんでしょうね」



こういう男性がいて、これはまったくの的外れ。



「だれも自分から逃げることはできないですよ」と、女性。



どうみても、こっちが正解。






寂しさ、なんて生きてりゃ当り前だ。




一人で生まれ、一人で死んでいく。


どんなにココロがつながりあってる、って思っても、寂しい。


まして、ココロがつながりあってる人なんていないよ、っていう人の寂しさときたら。





それでも、人は生きてく。




お金も、家族も、なにもなくても、生きてきゃならない人はたくさんいる。




「若さ」っていう寂しさを紛らすカンフル剤だって、どんどんなくなっていく。






自分から逃げ出せないから、人は苦しむ。


でも、そんな自分と格闘し、苦しんでいくから、もしかして人それぞれの人生の到達ができる。




それは、一人一人の分厚い長編小説なんだと思う。




この世で唯一の、目には見えない、貴重な一冊なんだと思う。


その人だけの、その人の残した、いとおしい一冊なんだと思う。