「不条理劇」。ていうのが、いまどきあるのかないのか。




昨日、別役実の芝居を見に行った。


「街と風船」。



黒いこうもり傘や、電柱や、空にぽっこり浮かんだ飛行船や。

そして、得体のしれない人々。

それぞれが名前を持たず、関係性もわからない。


どうしてそこに人がいて、街があるのか。





そうだ、これだったな。


40年前、大学で初めて出た芝居が別役実。


たしか「カンガルー」という作品だった。




私の役名は記憶によると「葬儀屋の令夫人A」



(亭主の葬儀屋をやった友人は、そのご故郷福岡に帰り、もう定年を迎えている。)




なんだか、それこそ得体のしれない芝居だった。




でも、芝居をやりたくて大学に入ったのだった。



大隈講堂裏のきったないアトリエに、この「カンガルー」を見に、両親もやってきた。





娘が芝居に出る、てんで、おそらくドキドキしてきたんだろう。


それが、雨漏りするような黒いブロックのアトリエ。


さぞや驚いたことだろう。



しかも、その内容と来たら、何が何だか、やってるほうもわからない。






「ううん、これはきっとカンガエル、「カンガルー」ってことだな」

と父親が言った。




なんとも感想のいいようのない、せめてものジョークだったのかもしれないが、親ってありがたいなと思った。






そんな父親と母親も、ことし88才。


すべてが懐かしくなってきてしまった。


胸がきゅんとしてきてしまった。




だから、今年初め、別役実という名前を新聞で見て、すぐにチケットを申し込んだ。




一番後ろの席で、不条理劇を見る。




ああ、おんなじだ。



これだ、これだ。







でも、不条理ってなんだろう。





別役さんが、対談だかで言っていたのが面白かった。



「今の芝居には、不条理が当たり前のように入り込んでる」




そういえばそうだな。



不条理劇が不条理劇として存在できたことは、もう昔のことなのかもしれないな。



もう今は世界そのものが不条理だ。







なぜか誰もいなくなった街、飛行船も消えた街で、たたずむ主人公が黒いこうもり傘を開く。





ああ、もう終わったんだなあ。


その瞬間、私は私の青春とさよならした気がした。