名曲「神田川」の作詞は喜多條忠さんだ。
この喜多條さん、大学の先輩だった。
それも、サークルの先輩なのだった。
「児童文化研究会」
名前はムズカシイが、なんのことはない、人形劇をやるサークル。
演劇がしたくて入った大学に、私が入れそうな劇団はなく、仕方がないので人形劇にした。
(まず動機が不純だ。)
自分たちで人形を作り、劇を作る。
夏休みになると、いくつかのグループに分かれ、各地を転々として公演を行う。
若い男女が十名ほど。
風呂にも入れず、体育館や公民館の片隅に寝る。
私が行ったのは山梨。
身延からさらに奥まったところだった。
この「巡回」という名の旅、なかなかに苛酷で、楽しいのと苦しいのと、半々くらい。
今でもほろ苦い思い出なのだが。
これとまったく同じことが舞台になった映画があった。
これ、私たちこのことじゃんと思った映画があった。
それが「神田川」。
たしか関根恵子と草刈正雄が主人公だった。
なんでだろ。
青春をのぞき見されたような不思議な感じ。
喜多條さんに出会い、なんのことはない、彼は先輩だったと知った。
年齢的に重なることはなかったけど、ずっと同じことを、このサークルはしてきたのだった。
先だっての作詞大賞でお会いし、またこのことが話題になった。
「寝袋一つで、しんどかった」というと、
「なんだ、俺の頃は寝袋なんてなかった。そんなもん持ってくるヤツは袋叩きだった」
げにおそろしい時代もあったのだ。
あの埃だらけの床に、そのまま寝ていたというのだ。
そんな時代に入らなくて、ホントに良かった。
喜多條さんのことを思い出したのは、同じ作詞家の岡本おさみさんが亡くなったと知ったからだ。
このお二人が、なんだか重なって見えてしまうからだ。
私たちより上の世代の「青春」を描いた作詞家。
でも、どの言葉も、私たちには親しく沁みる。
もろく弱いけど、その弱さを知り、生きようとする人の姿が見えてくる。
岡本さんは鳥取県の米子の人だと知った。
そして、今日これから私は、そこに行く。
偶然のことだけど、なんだかうれしい。
この喜多條さん、大学の先輩だった。
それも、サークルの先輩なのだった。
「児童文化研究会」
名前はムズカシイが、なんのことはない、人形劇をやるサークル。
演劇がしたくて入った大学に、私が入れそうな劇団はなく、仕方がないので人形劇にした。
(まず動機が不純だ。)
自分たちで人形を作り、劇を作る。
夏休みになると、いくつかのグループに分かれ、各地を転々として公演を行う。
若い男女が十名ほど。
風呂にも入れず、体育館や公民館の片隅に寝る。
私が行ったのは山梨。
身延からさらに奥まったところだった。
この「巡回」という名の旅、なかなかに苛酷で、楽しいのと苦しいのと、半々くらい。
今でもほろ苦い思い出なのだが。
これとまったく同じことが舞台になった映画があった。
これ、私たちこのことじゃんと思った映画があった。
それが「神田川」。
たしか関根恵子と草刈正雄が主人公だった。
なんでだろ。
青春をのぞき見されたような不思議な感じ。
喜多條さんに出会い、なんのことはない、彼は先輩だったと知った。
年齢的に重なることはなかったけど、ずっと同じことを、このサークルはしてきたのだった。
先だっての作詞大賞でお会いし、またこのことが話題になった。
「寝袋一つで、しんどかった」というと、
「なんだ、俺の頃は寝袋なんてなかった。そんなもん持ってくるヤツは袋叩きだった」
げにおそろしい時代もあったのだ。
あの埃だらけの床に、そのまま寝ていたというのだ。
そんな時代に入らなくて、ホントに良かった。
喜多條さんのことを思い出したのは、同じ作詞家の岡本おさみさんが亡くなったと知ったからだ。
このお二人が、なんだか重なって見えてしまうからだ。
私たちより上の世代の「青春」を描いた作詞家。
でも、どの言葉も、私たちには親しく沁みる。
もろく弱いけど、その弱さを知り、生きようとする人の姿が見えてくる。
岡本さんは鳥取県の米子の人だと知った。
そして、今日これから私は、そこに行く。
偶然のことだけど、なんだかうれしい。