昨日と今日と、レコーディングをしている。


昨日は「誰のための愛」という歌入れをした。



この歌は、もともとは倍賞さんがカップリングとして唄われていたもの。


それを、作曲された合田さんが「唄ってみて」と送ってくださった。


ライブで唄いはじめ、今回、録音に残そうということになった。





この歌の歌詞は東逸平さんという旭川のかたが作られた。


私の子供のころブームになった「氷点」という小説が、その基にある。




たしか、美しい母親が、これまた美しい義理の娘をイジメる、といったものだったか。


こう書くと、なんだかかなりベタな感じ。




それでも、キリスト教的救済の精神が流れたものだった覚えがある。





唄っていて、どきっとする。



「雪が降りつもる 愛が憎しみを消すように」


だとか。


「人は人を宥し合い」だとか。


宥し合い、は「ゆるしあい」と読む。





今、世界で起きている憎しみの連鎖。


これまで見たこともない、果て無い暴力の連鎖が、始まってしまったのかもしれない世界。





許す、赦す、宥す。


ゆるす。






どこかでだれかが「ゆるす」ことを始めなければ、この世界は終わるのじゃないか。



でも、どこでだれが?





混沌としてくる。


わからない。


わからない。






絶望的な現実の状況から、人を救うためにあったはずの宗教。


現実の苦しみの中、神を思うことで、ようやく生きられる人生。





それが、まったく逆転している。





人を救うための神の名で、人が人を殺し合っている。




どこにも逃げ場がない。


平穏な気持ちなど持ちようがない。




神を思うことで、安らぎや納得を得ていたはずなのに、神は武器になってしまった。





誰だって穏やかに生きたい。


誰だって人を殺したくない。


誰だって笑い合いたい。


誰だってゆっくり眠りたい。


誰だって人を愛したい。





ゆるすこと。


ゆるすこと。



これしかないことはわかっているのに、これほどむずかしいことはない。





愛は誰のためにあるのか。

そもそも愛ってなんなんでしょうか。

愛って、共通語なんでしょうか。

愛って、みんなが「わかる」ものなんでしょうか。

どの国の人にもとっても「共通の概念」なんでしょうか。




教えてください。

神さまに尋ねたくなる。