「マッサン」が終わっていた。

一日遅れで最終回の録画を見た。



人が人と別れる場面は、たいてい決まったように涙が出る。


条件反射みたいに、涙が出る。



ほんとは、こういうのイヤだ。

いちいちぐずぐず鼻がでたりするのイヤだ。



でも、やっぱりぐずぐず泣いてしまう。





ドラマはウソだ。

そんなことわかってる。


虚構だからドラマなのだ。



でも、そこに良い役者さんがいると、ウソがウソでなくなる。


良くない役者さんがいると、ウソはウソにみえてくる。



今回、エリーさんが素晴らしく良かった。


丁寧に感情の一つ一つをなぞっていく。


それが、とても自然でリアルで、ふううとこちらの気持ちが入っていく。



カタチからではない、ココロから作ったエリーさんは、確かに「そこ」に存在していた。

エリーさんの肉体が、ちゃんとそこにあった。

立体的に、ちゃんとそこにいた。




良くない役者さんだと、ぺらぺらになる。

紙みたいにぺらぺら見える。


車でひかれてぺらぺらになったニンゲンの漫画みたいだ。




ココロが、役をふくらませる。

ココロが、ウソをホントにする。




これは役者だけでなく歌い手も、おなじこと。


人の振り見て我が振り直せ。


自戒自戒。







それにしても。


エリーさん、最初のほうは決してキレイじゃなかった。

そばかすの目立つ、西洋人独特のキメの荒い肌の、田舎の女の子みたいだった。


それが、どんどんキレイになった。

陶器みたいにとろとろつるつるになった。



もちろん、ホントにキレイになっていったのもあるだろうけど。

照明の仕方を変えたんじゃないかと、私は思う。


これじゃあんまりだ、もっとキレイに撮ってと、エリーさんの事務所がクレームをつけたんじゃないかと思う。




など。

最終回でエリーさんの今昔を見てて、そう確信したのであります。




こんなこと思いながら、もらい泣きしてるんだからなあ。

片目を開き、片目で泣く。


一筋縄ではいかないオバサンは、どうやらヌエのようであります。