台湾のメディアの取材を受けた。



思えば、台湾の人と話したことってない。


目の前で中国語が飛び交う状況って、なかった。



若い頃、弾き語りの仕事をしている店で、バイトの男子がいた。


中国から来たという。



「中国のどこ?」


「カンツィン」


「え?」


「カンツィン」



さっぱりわからないので文字を書いてもらった。


「天津」だった。



「ああ、甘栗の」と、わけのわからんことをいってしまう。





天津はテンシンだと思ってたけど、音できくとカンツィン。


こんなことを知っただけでも、すごく得した気分になった。




違う国の、違う言葉で話す人たちと、日本にいると知り合う機会は少ない。



昨日の台湾の青年たちも、見た目は日本人と変わらない。


でも、日本語と中国語を話す彼らの後ろに、大きな歴史という海が広がってるのが見える。



私の知らない海。




違う言葉の人たちと、話すことって、やっぱり良いことだなあと思う。


それぞれの海を知ることができるし、それは河のようでもあるし。



そう、まさしく広い河は、ここにもある。



理解すること、理解しようとすること、ニンゲンはみんなそうそう違うものではないこと、うれしいこと、悲しいことに、たいした違いはないこと。



広い海も河も、お互いに舟を出すことはできる。



広い水の上で、エールを交換することはできる。





パリでの、恐ろしい襲撃事件。


同じ街で生まれても、憎悪だけが育つこともある。



なぜそんなことになるのか。



時間を巻き戻したら、きっといろんなことがわかるに違いない。



広い水の上で、お互いに伸ばしていた手が、あきらめたようにフッと離れてしまう場面が、そこには見えるに違いない。




悔しいことだけど。