ここ二日で、ちょっと気にかかることがあった。




その一つ。


荷物を抱えていたので駅のエレベーターへ。


そこには年配のご婦人二人。


私は、その後ろに並ぶ。


そこへ、エレベーターが到着。



乗り込もうとしたら、ちょっと外れたところに車椅子の女性が。


お先にどうぞ、の合図を送る。



すると彼女、何のリアクションもなく、エレベーターに乗り込む。


ちょっと奇異な感じがする。



エレベーターの中は狭い。


先に乗り込んだ女性たちも、彼女を気遣い、端に寄る。



そして、地上に到着し、エレベーターが開く。


年配の女性たち、「ボタン、押してますから」


私、「先に出ちゃいますね」



そうやって、車椅子の若い女性をうまく出そうとする。


その中、その女性。


すすすと出て行く。



これまたなんのリアクションもせぬまま。





そして翌日のこと。


少し混みはじめた山の手線。


立っている私の腰に何かがぶつかる。


あれなんだろうと思う間もなく、するるとベビーカー。



ドア付近にベビーカーを寄せようとしたらしい。


若いお母さんは、なにもいわない。



これまたちょっと奇異な感じ。


そのお母さん、きりりと髪をゴムで束ねはじめる。



ふと前日のエレベーターの若い女性を思い出す。


二人が重なってくる。




駅をいくつか過ぎ、ベビーカーの女性、移動を始める。


進みたい方向に、進む。


何もいわない。


私と同じように、あれれとよける人たち。



たどり着いた場所は、優先席。


若いお母さんは座って、子供をベビーカーから取り出す。




車椅子の女性とベビーカーの女性。


二人とも若い。



礼儀を知らないんだ、って思うことは簡単だ。


でも、そうじゃない気もする。


彼女たちを「かたくな」にしてしまったモロモロの事々を思ってしまう。



駅やホームという場所で、こういう立場の人たちは、肩身が狭い。


混んでいればなおさら。


もしかしたら数々の罵倒も受けたかもしれない。



それが、彼女たちを「強く」する。


「かたくな」とも言い換えられる「強さ」。




スミマセンやゴメンナサイ、ばかりいいつづけ、アタマを低くして生きることを、ある時放り投げたのかもしれない。



そんなことを思うと、能面のような彼女たちの顔が、いとおしく思えてくる。




でも、いつか。


もう一歩進んで、「したたか」を覚えて欲しいなあと思う。



どうもどうも、といいながら柔らかく巧く、世間と関っていって欲しいなあと思う。



ハンディのある人たちが卑屈になることは、ない。


なってはいけない。



とんでもないニンゲンも多いけど、そうじゃないニンゲンも多い。



固くなった彼女たちのココロが、いつか柔らかくなりますように。


笑顔が取り戻せますように。



そんな世の中でありますように。




てなことを思ったのでありました。