母親の左手が、私の右ヒジに。


そのまま日傘をさして、眼医者に行く。



「またランデブーだね」

と母親がいう。



この夏、こうしたランデブーを、どれだけしたことか。




家にもどると、父親のバッグが壊れたという。


バッグといっても、ナイロン製の千円か二千円程度のもの。


その肩あたりが、すりきれて千切れた。




たまたま使わなくなった新しいモノを提示する。



ううううむ。


父親は考え込む。




どこにどうして入れようか。


鍵はどうしようか。




なんてことないことばかりだが「新しいこと」には、弱い。


それが最近の父親だ。




ちょっと前には、工事人に電話するのにツナガラナイツナガラナイと、怒っていたそうだ。



「だって、自分の家の電話番号かけてんだもん」

母親があきれたようにいう。




一事が万事。



こういうことなんだな。


年とるって。




その都度、怒らないよう、丁寧に、ゆっくりと、何回も。



そう心がけてはいる。



でも、この先どうなるんだろう。




いろいろ考えるとシンドイのでやめた。




「人って、想像するように終わらないんですよ」


いつだったか、宮子あずささんにいわれた。



あずささんは、吉武輝子さんのお嬢さん。


看護士であり、介護のプロでもある。




こうだから、きっとこうなるだろう、こんなふうにこの人は終わるんだろう。


そう想像することが、すべてそうならないと、彼女はいう。




なるほどなあ。




自分の親の行く末がこれからなのに、私自身はすっかり自分が終わる気でいる。


どれをどうして始末しようか、など考えている。


なあんんにもなくなったあとを、うっとり想像したりしている。






そうじゃない、そうじゃない、本番はこれから。


うっとりしてる場合じゃない。




気合い入れなくちゃ。


ねっ。