4日ぶりに、実家に行く。


想像以上に二人とも元気で、なまじ通わないほうがいいかも。



いやいや、やっぱりそんなことはなくて。


食卓の上にはちゃんと私の湯飲み茶碗が。


私が来る日、あるいは来そうな日には、朝茶の入ったそれが用意されている。




「あさちゃはそのひのなんのがれ」


と、ずっといわれながら育った。


「朝茶は、その日の難逃れ」


ってことだろう。




落ち着いて朝お茶を飲めば、きちんとしたココロモチになって、間違った判断や失敗などなくなる。


そんな意味合いか。



子供の頃から、そんな訳で、朝のお茶を飲まされてきた。




私がいなくなってからも、ずいぶん長い間、仏様の祖父母と同じように、私のお茶は用意されていた。




親ってのは、ほんとにありがたい。




遠くイスラエルとパレスチナ。


ガザ地区のすざまじい状況を見ると、怒りがこみあげる。


どこにも、親がいて子供がいて家族がいて。



戦いに、どちらが良いも悪いもないけど、貧しいガザ地区への破壊にはただ怒りだけだ。




ぼうぜんと涙をためた大きな目の子供。


くそおおおおお。


だれだよ、戦争したがってるの。


くそおおおおおおおお。





あ、朝からコーフンしてしまった。


これから「診療情報提供書」てのをもらいに、病院に行かねば。


これがないと、母親の手術が一歩も進まない。



まずは、お茶飲んでからだな。