先月が父親。今月が母親。
同じ病院に連れて行く。
この病院、この前までと名称が変わってしまっていた。
公的な役目もある病院なので、おそらく財政建て直しの意味合いもあったのだろう。
薬局で、ホームレスであろうオジサンが、うれしそうに薬をもらうのも見たことがある。
他の人たちと同じことができるというのが、よほどうれしかったのだろう。
はしゃぐように軽口をたたくその姿に、ジンとしてしまった覚えがある。
そういった人たちを診てあげている病院なのだ。
そうとうに財政難だったはずだ。
そこの循環器内科、両親ともそこで心臓を診てもらう。
父親は二ヶ月に一回。
母親は、じつに一年半ぶり。
私が実家まで行って、そこからタクシーで。
病院ではこまごましたことが多くて、つい私がやってしまう。
周りを見ると、杖をついたおじいさんやおばあさんが、一人で来ている。
ああ、ダイジョウブなんだろうか。
と思うと同時に、わが家の過保護ぶりも思うのだが、もう引き返せない。
いいや、もう。
86才になろうとする二人だもの。
耳も遠くなっていて、どうも話がスムーズにいかない。
「パパも耳、遠くなってきたみたい」
と、母親がいう。
「もうさあ、両方で耳遠くなって、なにがなんだかわかんない会話になるよ、きっと」
と私。
それもいいさあ、と思う。
「やはり、原因は高血圧でしょう」
母親の心臓肥大の原因について医師がいう。
降圧剤、を生まれてはじめて処方される。
「飲み始めたら死ぬまで」
なんていったってさ、もうそんな先ないんだから、いいじゃん。
と母親にヘンな励ましかたをする。
でも、母親も安心したらしい。
コッチがちょっとしんどくなった時は、子供の頃を思い出す。
私が病院に連れて行ってもらったことを思い出す。
ゼンソクの私を、おぶって荒川の土手を歩いてくれた若き父親を思いだす。
入院していた私の寝床に、そっとオルゴールを置いてくれた若き母親を思い出す。
そう、こういうことなんだ。
生きること、老いること。
二人をしっかりと見届けなきゃと、また思う。
また、覚悟を、する。