私の作ったイイカゲンなお雑煮を食べ、

父親は八幡神社に向かった。


その間、母親のベッドパッドの取替えなどしはじめる。

が、あったはずのそれが、どこを探してもない。


押入れにないならどこにあるんだろう。

本人、まったく覚えてない。

「もうないよ、なくなっちゃよ」となげやり気分の私。

もうこりゃダメだと思ったその時「あったあった!」の声。


おっきな風呂敷にくるまれて、上階の納戸に。

「あらあ、どうしてこんなとこに」

覚えてないってとこが、シビレル。




そうこうするうち帰ってきた父親。

「キツネにつままれちゃった」といっている。


帰り道、神社の警備員に誘導されて、

いつもと違う道を曲がったら、どこがどこかわからなくなったと。


恥ずかしいと思いながら、人に道を尋ね、

そうこうするうち、やっと見覚えのある道に出たと。


ううむ。これもシビレル話ではある。



今年もどうか無事に過ごせますように、

変わらずいられますようにと、

そんな願いを持つけれど、そんなもの永久に続くものではない。

わかりきってることだけど、セツナイ。



去年の今頃は、両手骨折の母親介護と、

それに伴う父親のアップダウン気分の対応に追われた。


そこいくと今年は平穏だ。


でもさ。でもさ。

覚悟しなきゃ。


うん、覚悟しなきゃ。



と、あらたに気持ちの引き締めをはかった私であります。


永久なんて金輪際ないんですからねえ。