まず母親と銀行に行く。

その昔、第一勧銀だった通帳を廃棄して一本化。


「まったく、いろんな銀行一緒になっちゃうんだもん、

わかんなくんっちゃう」


仰せのとおりなので、粛々と事を進める。


「キティーちゃんのキャッシュカードございますか?」


行員の言葉に、母親アタフタ。

「家できっちり廃棄すればいいんですよね」

口をはさむ。

このあたりに、娘の出番がある。


老人を不安にさせないこと。

これに尽きる。


その後、振込みなど、もろもろの用事をちゃっちゃと済ませる。

ちゃっちゃとやっていると、

自分がひどく頼りになる子供のような気がしてくる。



次に父親と貸し金庫に行く。


アレを出して、コレを入れて。

ということごとと、貸し金庫のシステムに不安を持つ父親。


ここでまた頼りになる子供の登場。


「これをこう入れて、これをこうして」

と、自身に確認するように、父親が説明する。


「なかなかメンドウなもんだね」


「そうなんだ、気をつけてないと大変だ」


実際、老人には少々メンドウなものだけど、

若い頃には何ということもなかったことが、できなくなっていく。

そのことを「知る」のは残酷だよなあ、と思う。



リチギな父親は、中に入れてあるものに番号をつけている。

1番から26番まで。


それをきちきちと確認し、出し入れする。


あれ、コレなんだろ。

えび茶色のカバーが見える。


「早稲田大学卒業証書」


あ、こんなとこにしまっておいてくれたんだ。



じわん。



ありがとう。


心の中でいう。


私が卒業したときは、父親も母親もまだ40代。

若かったなあ。



就職しろ、結婚しろ、孫の顔見たい。

この三つをいわなかった両親に、また感謝。



そのおかげで、今こんなことして生きてます私。


スンマセン、そしてアリガトウ。