鳥取は雨だ。

いましがたリハーサル終える。
鳥取の防災フェア出演、出番はお昼過ぎ。
雨、あがるといいなあ。

鳥取は70年前に大地震に襲われ、
その時、他県に助けてもらった感謝の気持ちから、
宮城県にも震災後すぐに救助にむかったという。

昨日は知事にもその時のお話をうかがった。
「ガソリンと魚と入り混じった臭いがしました」

県の職員も、業務の代行をして、
極限状態の中で、さまざまな苦労があったらしい。


表敬訪問のあと、別室で鳥取に避難された方々との
談話会とでもいうものが開かれた。

福島や石巻、そして埼玉からも、
この地にご縁のある方々が来られている。

小さなお子さんを四人も抱えた若いお母さん、
お母さんを亡くし、おばあちゃんのもとに来た高校生、
放射能の影響を憂い、乳飲み子と共に移り住んだ家族など、
さまざま。

その中で、石巻でお寿司やさんをやっていたご夫婦のお話は、
何ともヤルセナイものだった。

奥さんが鳥取だということで、震災後避難してきたこと、
そのことで、もう以前の人間関係が取り戻せない。
石巻でもう一回やり直そうと思っても、
震災後の苦労を共に同じ場所でしなかった、
それが、目に見えない裂け目をつくってしまった。
鳥取出身の奥さんも、18才の頃出た街なので、
なかなか馴染めない。

「言葉も違いますからねえ。
北の人間はあんまりしゃべらないし」

ご主人は、目を伏せながらポツポツと言う。
とどまることも、去ることも大変なこと。

あの震災がなかったら。
思ってもセンナイことを、また思う。

最後に「ともだち」をアカペラで唄った。
そして一人一人の手を握った。

こんなことがなんの役にも立たないことは知っている。
でも、こんなことしかできない。



朝起きたら東京オリンピックが決まっていた。

誰かの金儲けのためのものじゃなくて、
それぞれの被災者を助けるための手段になるよう、
願うしかない。


ヨロコビいっぱいのテレビ画面とうらはらに、
雨がショボショボふる鳥取の街は、
静かに、肌寒い。