先だっての テレビ収録で


隣の 生島さんが


ほんとに とつぜん号泣されたのを


もう ただ 顔を伏せているしかなかった


私だったが


その私は



もう ぜったい泣かないんだ



ずっと 決めていた


忘れるってことじゃないけど


少しずつ 少しずつ


自分を とりもどしたいと


思っていた



あの日からの二年は


まったくの被災者ではない私にも


長い道だった



やっと


自分のカラダに 本来の自分が入った


そんな感じになったのが


去年の 秋だった




だから


もう 泣かない


そう決めていた




ところが


昨日 石巻門脇の西光寺さんを訪ね


副住職の 樋口伸生さんに

(ご住職は お父さまだという)


お話を うかがっているうち


涙が ぼたぼたぼたと


落ち始めた





ああ  なんということだ


これまでの ガマンがだいなしだ



ぼたぼたぼたと


涙は 落ち続け


化粧もさんざん




  被災地のニンゲンは

  もうそこで生きてるだけで

  疲れがだんだんたまっちゃうんですよ



  あれから ずっと頭のなかに

  クエスチョンマークが ついて

  どういうことなんだろう

  人が いなくなること

  あんなふうに 死んでいかねばならないこと

  そして

  私自身も どうしてこんなことをしてるんだろう

  他に 道はあったかもしれないのに


樋口さんの 苦悩は


もちろん 私などにははかりしれないが


でも


全部の言葉が


この二年の間の 私の道筋と重なって


ただ ぼたぼた涙が おちる




そして 樋口さんはつづけた



  被災地のニンゲンは

  どこよりも 思いやりが深くあたたかい

  だって それだけ苦しみを見てきたから

  そんなふうに ならなきゃいけないと

  思うんです


  そんなニンゲンにならなきゃ

  この苦しみのかいがない

  そう いうんですよ 皆さんに



苦しみの道の向こうに


きっとある 


なければならない




それを 思うことで


それを めざすことで


今 この道を 歩いていける




ニンゲンの 哀しさ 愚かさを


おそらく いやというほど見てきた


樋口さんだから


いえる言葉は


もう 私を ぜんぶ覆いつくし


なすすべが ない



  言葉の持つ意味が

  カラダでわかった二年でした

  阿鼻叫喚とか 言葉をなくすとか


  

そして 最後に言葉がどれだけ大切か


樋口さんは いう



言葉なんて 無力だ


そう思いがちだったのに


そうじゃない



  人は 言葉ですくわれるんです




ご自由にお持ちくださいと


書かれた 紙には


仏様の言葉を


それはもう わかりやすく訳した


樋口さん手作りの 言葉たち




どうにもならない ココロを


おさめしずめ うけいれるコトバたち




お寺には 三回忌ということで


法要が 営まれていた


そこに 並ばれた遺族のかたがた


あんな 悲しい法要を


これまで見たことがなかった



どうして どうして



わりきれない ココロが


部屋中に みちていた




お経が聞こえてくる



ココロを しずめるコトバ



こうして被災地には


コトバが 流れる



静かに 


深く