吃音の克服 2  わたしの場合

 

吃音の克服に至る道のりと、摂食障害克服の道のりはかなり類似していたように思います。

好きな自分との出会い

こんな私でもまあいいかという、開き直りの境地に到達できたこと。

 

克服までの道のりをもう少しお話させていただきます。

 

大学生の頃にしたアルバイトはファーストフードでした。

レジでの接客は最初はとても困難でした。

マイクでオーダーを間違えないように流さなくてはならない。

「レジの仕事はできません。製造の仕事をさせてもらいたい」とお願いすると

「女の子はレジして欲しいのよ」と言われ、このバイトやめようかな・・・・・

なぜなら、致命的だったのは「いらっしゃいませ」の「い」が言えない。

しかし、それで辞めるのも悔しかった。

そのなら「らっしゃいませ」で、だれも不思議におもわないのではと気づいた。

 

お客様が求めることは正しく「いらっしゃいませ」と言ってもらうことより

笑顔で接客してもらい、欲しいものを早く入手すること。

正しく言うことはできなくても、後者なら任せて欲しい。

わたしはホスピタリティーのある接客ができると、思いました。

すると、わたしが笑顔で接客していると、お客様も笑顔になってくれることに気付き、

仕事がとても楽しくなりました。

次第に、レシの仕事にも慣れ、わたしの接客を社員さんに認めてもらうことができ

接客コンテストで優勝をいただきました。

吃音を克服できるかもと少し思えた瞬間でした。

 

次は料理家になって、いろいろなテレビの仕事をNGをあまり出さずにこなせるようになったとき。最初は本当にボロボロでした。

 

30歳半ば頃にいただいた、講演の仕事。

400人くらい集まる会場で家庭料理の大切さについて語るお仕事。

原稿を作り、なんども喋り、自分の中に叩き込みました。

緊張で頭が真っ白になっても、勝手に口から言葉が出てくるまで準備を積み重ねました。

 

それなのに

前日の練習でわたしは緊張のあまり、言葉がでなく、ボロボロでした。

 

障害者という言葉は好きではないのですが、吃音障害のあるわたしが引き受けるべき仕事ではなかったと後悔し、途方にくれました。

 

すると旦那さんが

「プロの話家は話の合間の間(ま)を使う。」と話してくれました。

つまり「人は、あなたに吃音があるとは知らない、声が出ない瞬間は落ち着いて、間だと思えばいい。

間が長ければ長いほど人は、なにかあったのか?とあなたを注目する。注目すれば人はあなたの話を真剣に聞いてくれる。

大切なことは、人にあなたの話を伝えること。声の出ないことで、うまい間を素で作れることはすばらしいことだ」と。

まさにピンチをチャンスに変えるような発想に

緊張しきって、がちがちに固まっていた全身の力が抜けていきました。

「そうだった。うまくしゃべることはできなくても、熱い思いを伝えることはきっと出来る。発声できないときは、間を作っているだけ。明日はわたしの思いをみんなに伝える日。それだけなんだ」

 

さらに、旦那は「マイクは手で握ること。スタンドマイクだと手がぶらぶらして遊んでしまう。

顔は扇風機のスウィングのように動かして」とアドバイスくれました。

 

当日足はガクガクでしたが、手にはマイク。顔は扇風機にだいぶ助けられました。

 

 

話し始め5分が経過した頃、緊張はあまりなくなり

顔は扇風機スウィングで、暗い会場の人々の表情が目に入ってきました。

「この人、ちょっと眠たそう。この人はわたしの話に、うんうんと言ってくれてる」などなど

余裕が自分でも感じられました。

声が出ない瞬間も「これはただの間。深呼吸して続きを話そう」と思えました。

そして

「せっかく来てくださった皆さんに、感動して帰ってもらおう」と

熱いハートで話しました。

 

話し終え、大拍手をいただきました。

 

もう、吃音は乗り越えられたのだ。と思いました。


 

 

 

今振り返り、

吃音の克服は

「どもったからなにかある?」「どもるとなにがいけないの?」

と思えるようになったこと。

ひらきなおりでしょうか。

 

私の中には多重人格のように、発声できるかできないかを決めている

もうひとりの私がいます。

いままでは、敵対したり、従わせて発声させようとしてきました。

その私に

「声が出ても出なくても、どちらでもいいよ。大丈夫。自由にしていいよ。

そんなこと小さいことだから」

と言ってあげられるようになったこと。

すると

次第にもうひとりの私の存在は主張をやめ、

私の中に吸収され小さくなって存在し。

それをわたしが可愛がっているようなイメージ。

 

いままでは「どもったら笑われる。どもったらいけない。どもったら母の悲しい顔。

どもったら、みんなにばれてしまう」など

どもることをひた隠しにしようとしていたこと。

わざわざ「わたしはどもります」といってから話す必要はなくても

悪いことをしているわけではないのだから、堂々としてればいい。

胸張って生きよう。

「どもるどもらないより、もっと大切なこと」を見つけたこと。

 

吃音のある自分も含めて「自分が大好き」と思える人になれたこと。

 

今でも

失敗して自信を失った時など、よくどもる気がします。笑

 

 

吃音と発達障害  吃音といじめ   不安障害 そしてゴールに摂食障害と 全てが絡み合い、精神科の先生に言わせるとお決まりコースだったのでしょう。

 

いまでは

全ての障害が愛おしい。わたしの人生の軌跡。すべてが私自身です。

 

 

新しくファローくださった皆様、ありがとうございます。

その中には吃音で苦しんでいらっしゃる方がいることと思います。

 

どうぞ、好きな自分を輝かせてください。

わたしはパン作りから料理家の道でした。

好きな自分がどんどん増えると、好きでない自分も許せるようになります。

 

好きなことでさらに努力してみてください。

努力を積むことが自信につながります。

努力したことは残ります。

 

 

お子様の吃音で悩んでいらっしゃる方へのアドバイスは次回書かせていただきます。