痩せすぎは、命の危機、考え方も苦しくなります。


体重が減り、生理も止まったころのわたしは、とてもトゲトゲしていた。

自分ではいつも冷静だと思っていたが、いま思うともとても正常ではなかった。

朝、体重がいつもより減っていれば、天にも登るくらい嬉しくて

体重が変わらない日は、ホッとして

増えている日は死にたくなった。

 

頭の中は迷うことが多かった

 友達との誘い、  行くか行かないか

 この頂き物    食べるか食べないか

 赤ちゃんの娘   預けるか自分でみるか

 外食        行くか行かないか

 

よく、考え、答えを出し、決める。

絶対決定と思っても5分後にはまたわからなくなっていた。

 

今思えば、「そんなことどっちでもいい」ということも多かった。




わたしはいつも

 

「そもそも、最高の選択をしたい、そのためには、どちらがいい??」


と考えることが多い

 

今なら、ちょっとくらい、不本意な思いをしても、いいじゃないと思うのだが、そのときは決して許せなかった。



二者選択に疲れて、脳は疲弊しながら興奮していた。

 

疲れているから、切れやすかった。

 

食べていないから熟睡もできず、いつも睡眠不足。

 

体にしてみれば、少ししかエネルギーは入ってこない。


いつも入ってくる、わずかなエネルギーは、最低限の命を存続させることに使うが足りない。


なんとか食べさせようとして過食を起こさせる。


ところが、せっかく食べさせても、吐いてしまうので、食べたはずのエネルギーは少ししか入ってこない。

 

エネルギーが足りてないころは、頭で考えても、支離滅裂になっていたようだ。


脳も体も、ギリギリのところで命を守っていてくれたのだと思う。

 

その頃は生きるか死ぬかの状態で、他人のことなど考えられなくて当たり前だけど

 

人のことなどなにも考えられなかった。

 

一日3回ごはんを食べるようになると、精神的に落ち着いてくる。


あの頃、深く悩んでいたと思っていた思考は、実は、深さも幅もなかった。


ただの堂々巡りだった。

 

いまでは、大抵悩まなくても、色々な事が決められるようになった。

 

その上、たまに、頭の中が空白(なにも考えといない)になることもある。

 

食べて満たされていると、懐も広くなれる。

 

ちょっとしたアクシデントにも動じないで対応できる。


ピンチの時にも違った発想が浮かんでくる。

 

三食、食べるだけで、人生が楽しくなる

 

失敗した時も、前だったら、もうみんなに失望されたと、思い込み死にたくなったが、いまでは、冷静に対応し、傷ついた自分の心を修復できるようになっている。

 

いままでこんなに生きづらかったのは、経験不足と飢餓だったからなんだ。とわかった。

 



人間も動物。

 

寝て、起きて、食べて、活動して、疲れて、眠って

 

この当たり前の循環が、うまく回りだすと、心も体も元気になる。



ほどほどの体の疲れは、達成感や満足感になっている。


むかしから、病は気からとは、よく、言ったもの。


自分で病気を作らないよう、舵取りしながら

人生を、楽しみたい。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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