ついに30代に突入してしまいました、KUMIKOです

三十路の朝の目覚めは、歯の痛みで目覚めました。。。

ココのところ、残業続きで歯医者さんもキャンセルで悪くなってしまったようです

私が生まれて三十年経ったと思うと、何とも言えない気持ちになります。。。(笑)。
時が経つのは早いですね。
せっかくなので、いろいろ振り返って書いてみます。
私は音楽が好きな両親の元、生まれました。
母は、私を生むまではお店でうたを歌ったり、ダンスをしていたそうです

当時の写真を見ると、それはそれは綺麗で、小さい頃は大人になったらお母さんみたく綺麗になりたいと憧れていました

母は、海が大好きでもぐりをしたり、釣りに一人で行ってしまう程のアウトドア女子だったらしい(笑)。さすが、私のアウトドア好き、釣り好きも母の血をひいているようです。
そして、母が36歳のとき、私が生まれます。
はい、こんな感じ。
かわいくねーーーーー(笑)
機嫌悪そうです。
母子家庭だったので、母に甘えて、母の背中に隠れて育ったので、忍耐力が無くて、コミュニケーションが苦手で、他の大人が苦手で、学校が大嫌いな子供でした
でも母の事がとにかく大好きで、いつもアウトドアや釣りに連れて行ってもらって、学校以外の時間は楽しくてしかたなかった。そして、母を笑わせるのが大好きだった。だから、写真はだいたい変顔ばかり。
もー、ほんとひどすぎるでしょ(笑)
母以外の人には心を開かない私が唯一好きだったのは、やっぱり音楽でした。
ピアノを習っていて、小・中学生の時は、よく伴奏係をやってました。
そして、小学生の時はTUBEにはまり、ボーカルの前田さんと本気で結婚したいと思ってました(笑)ほら、その証拠に。。。
将来なりたいものに、「TUBEのおっかけ」と、好きな食べ物に「ふきのとう」って・・・。完全、不思議ちゃんです。母はこれを見て、どう思っていたんだろう
でも、いっつも夏になるとキャンプと釣りの旅に2週間くらい出かけて、房総の海沿いを走りながらTUBEを聴くのがお決まりだった。今でも、TUBEを聴くと、その頃の思い出や海の匂いがすぐよみがえってくる。大好きです
私を変えたきっかけ、運命の出会いがダンスでした
中学生の時、友達に誘われて、夏休みに毎日練習して、文化祭で踊ったことが私を変えた。それから、母を説得してダンススクールに通えるようになって、ダンスと歌に明け暮れた十代。
話は変わっていろんな事情から、父の存在を知ったのは十代の後半だった気がします。
周りにはいろいろ言われるけど、知ったとき、とっても嬉しかった。
兄の存在も知らされて、それもとっても嬉しかった。
大人の複雑な事情があっても、どこかに血がつながっている家族が居る事が嬉しかった
父とは、時々会って、食事をしたり、LIVEに来てくれたり、いつもいつも本当に応援してくれた。LIVEにくると、まだ曲の途中なのに感激して拍手しちゃったり、いっつもウクレレを持ち歩いてる人だったから、電車の中とかでもウクレレ弾きだしちゃうようなファンキーな父だった
父も若い頃は、お店で歌ったり、演奏をしていたみたい。
これは、成人式の時に撮った写真。
父は、おちゃめで、こっちが笑うとすぐ調子に乗って、面白くなくなるまで何度もひょうきんな事をしちゃう人(笑)。私、きっとそこ似てるな。。。
父は歌が本当にうまかった。
そんな父が2006年に他界した。
すっきりしない別れだったから、未だに信じていない。
音楽がバカが着く程大好きで、歌が大好きで、どこでもおかまいなしに演奏して、なんでも「美味しいね」ってご機嫌で食べて、ビールが大好きで、ヤキモチやきで、不器用で、あきれるくらいまっすぐでそのまんま、すぐ人を信用していい人、でも短気。。。父の性格をあげると、似てる部分が多すぎて、父の血が多いのかなとよく思います。
父にいつか会えたら、出来なかった親孝行を沢山してあげたい。
思い返すと、私の夢ってなんだったんだろう??
デビューして、紅白に出て、お金持ちになって、お母さんを楽にさせる事。
そんな漠然とした思いを胸に、私が曲を作ったり、LIVEをしたり活動を始めたのが二十歳前後だったな。
今はもう非売品の「さよならした夜」というシングルを作らせてもらった。
私は、きっと自分のわがままでいろんな人を振り回してきたと思う。
せっかく作った作品も、PRすることが出来なくなったものもある。
それでも、そのときに関わってくれた人たちが、今でも応援してくれたり、つながってくれている。
本当に心から申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいです。
いろんなオーディションをうけたり、活動をして行く中で、夢が正直わからなくなった。
大黒柱の私が、不安定な仕事をしていたら、万が一の事があったらどうするんだと、気持ちはどんどん諦めの方向へ向かっていった。
もしかしたら、今思うとそれは「できない」じゃなく「挑戦しない」だけだったのかもしれない。リスクと隣り合わせでやれないこともなかったのかもしれないけど、動けなかった。
そんな中で見つけた答えは、音楽を続ける事だった。
いつか100人くらい集めて、ワンマンしたいとか、そんな小さなこと。
夢とは言えないかもしれない。
会社につとめながら、細々とやる音楽活動。
震災の前までは、少しの間、お店で歌わせていただくチャンスもあった。
大好きな、すばらしすぎる先輩に囲まれて歌った。
正直、まわりで活躍する人たちを見ると焦りだったり、なんとも言えない気持ちになったりすることも沢山ある。
でも、限られた時間の中で歌える時間は、幸せで自分らしくて、HAPPYな時間。
見に来てくれる人たちが笑顔になったり、泣いてくれたり、何かを感じてくれるならば、そんな嬉しい事は他にない。
30代は、もちろん仕事も頑張る。
でも、歌うこと、もっと身近にしたい。
もっと音楽と仲良くなりたい。
そして、誰かを笑顔にしたい。
どんなに忙しくても、感謝の気持ちを忘れないように。
どんなに忙しくても、思いやる気持ちを忘れないように。
そして、これまでの私の悪い癖「できない」と決めつけるところ、忍耐力がないところをやっつける!!!
これから先、何があるかわらない。
今想像できない事が待ってるかもしれない。
どんな事もプラスに変えて、一日一日、そして周りの人を大切にしていきたい。
あ、そうだ。
facebookのタイムラインとか、ツイッターとか、メールとか、皆さんお祝いメッセージありがとうございました

こんなにいろんな方からお祝いの言葉がいただけるなんて思っていなくて、すっごく嬉しかったです。
皆様、これからもどうぞよろしくお願いします


