なにやらヘボいアニソンか、売れないアイドルの歌にありがちなタイトルではありますが、ふつーの、しかし間違いなくヘボくて売れない…、それ以前にまるでオモんないみなせのブログですw

 

元来遅筆の性質でありまして、ふと気づけばこのブログも「蘖の会」告知板状態な昨今。

こらアカン、たまには真面目にブログ綴ったろ…などと、キーボードに向かった次第。

(…ぃぁ、「蘖の会」も至って真面目なんですけどねw

 

「『かいのしょうただおと』の『よこぐし』」

 

と、初めて耳にしたのは今年初め、出勤途中の深夜ラジオ。

(注:みなせさんは毎朝4時半に自宅から職場へ向かう)

 

いつもなら聞き流すのに、みょーに引っかかって、早速検索してみた。


…ご覧になったみなさまも、好き嫌いがはっきり分かれる絵画かと思います。

 

近年ではホラー小説「ぼっけぇ、きょうてぇ」(岩井志麻子著)の表紙として、また「あやしい絵展」(東京国立近代美術館)のメインとしても取り上げられました。

 

実際、当時の日本画壇においても「穢い絵」(土田麦僊)、「デロリとした絵」(岸田劉生)などと酷評されたこの作品。

 

美の中の醜さ。

醜さの中の美。

 

そんな両極端の要素を丸呑みしたかのような、独特な画風が妙に刺さったのでした。

 

 

それから数ヶ月。

そんなことも忘れかけていた4月最初の週末。

春の陽気に誘われて、京都の桜も見納めかな…などと、ふらりと外出。

 

自宅近くの、民家の軒先

 

花見客でにぎわう渡月橋から嵐山公園を通って阪急電車に乗車。

 

 

 

烏丸駅で下車後、四条通り沿いのATMをハシゴしてお金絡みの用事を済ませつつ、「さて、これからどこへ行こう?…」と思案する。

 

円山公園のしだれ桜と周辺の花見客の波を横目に、清水寺へ上るのも良し。

祇園の切通しから白川沿いをそぞろ歩くのも良し。

はたまた地下鉄に乗り換えて、山科やびわ湖を目指すのも良し…。

「気ままなぶらぶら歩き」に、これだけの贅沢極まる選択肢で悩めるのは、京都暮らしならではの楽しみであります。

 

…ふと、街角で目についたこのポスター。

 

…あの深夜ラジオの記憶が蘇る。

残り僅かな会期も手伝って、まるで呼ばれたかのようにして、会場へ向かったのでした。

 

岡崎、平安神宮の大鳥居の足元にある、京都国立近代美術館。

 

すぐ脇を流れる琵琶湖疏水には、花筏と遊覧船が…。

 

¥1,800の入場料は決して安くありませんが、これもご縁とゆーもの。

「ご縁を感じたものには、時間も手間もお金も惜しむな」で、あります。

 

甲斐荘楠音。

1894(明治27)年、京都市生まれ。

古くは楠木正成の末裔、江戸時代の旗本の系譜を引き、生家は京都御所の東南と、いわゆる「京都カースト」の最上位に位置するという恵まれた家系に生まれる。

 

Wikipediaより)

 

1915(大正4)年、現在の京都市立芸術大学卒業後、女性の官能美を描く前衛的な日本画家として活動を始める。

 

「肌香(はだか)、匂いが溶けてゆく。流れる匂い」

ひとりのモデルに対して、表情やポーズなどバリエーション変えて何枚もスケッチをするなど、女性の肉体美へ強烈にこだわっていた。

 

彼の生涯を紐解くキーワード。

 

「越境」

…他の全てについては、至極真っ当に「アホ」とゆー言葉ががっつり似合うほど鈍感極まるみなせですが、この件については異常にピンとくる。

 

…やっぱりそうか…。

 

 

 

「加えてこの展覧会(「あやしい絵展」)は、彼が「あやしい」、つまりは異端の画家であるとの従来の評価を追認し強化するものとなった。加えてこの(今回の)展覧会においても、その「あやしさ」や異端の理由は、彼の作品が描く女性像の生々しいまでの存在感のみならず、これまでもつねにそうであったように、彼のマイノリティとしての性自認や自ら女装してのポートレートに帰せられた。

(図録内解説「さまざまに越境し混淆する個性:池田祐子・著」より)

 

…そう、彼自身が「女装者」であったのだ。

実際、幼少期よりから歌舞伎や芝居に足しげく通い、時に素人芝居で女形を演じることもしばしばだったとか。

 

後年、彼の作品を初めて見たベルギーの美術史家クリス・デルコン(カルティエ財団館長)は、会場で英語の詳細な説明が無かったにもかかわらず、作者がセクシャルマイノリティであることをすぐさま看破したとのこと。

 

どれだけ化粧を重ね、着飾っても。

男性的な顔立ちとか、青々としたヒゲの剃り跡とか。

全体的な骨格とか身体の大きさとか…。

隠しきれない「男」の部分に、どうあがいても「女性」にはなり切れない自らを思い知らされるのが「女装者」の現実。

 

彼の描く、美醜併せ呑む「デロリとした」女性像は、そんな彼自身の葛藤も内包していたのかもしれません、

 

後年彼は日本画壇のドロドロした人間関係を嫌い、東映太秦撮影所にて映画の世界に身を投じるようになる。

衣装考証として彼がデザインした衣装は、市川右太衛門演じる「旗本退屈男」はじめ、数々の時代劇で使用されました。

 

 

 

 

監督である溝口健二が「アカデミー賞」に、甲斐荘楠音が「衣装デザイン賞」にノミネートされた「雨月物語」。

 

「絵画」と「映画」の間を、「表現の越境」を。

「男性」と「女性」の間を、「性別の越境」を…。

 

「越境」をする者同士は、言葉を介さずとも、ある場合には時代さえも超えて、何か共鳴し合うようなものがあるのかもしれません。

 

ご縁にはお金を惜しまず(笑)

図鑑ほどの大きさと厚みの図録、¥3,200もしたけど買っちゃいました(笑)

 


…ふと気づけば、残りも少なくなりつつある我が人生。

 

人生の前半はトンデモな「神様」に振り回されたとはいえ、後半は素敵なご縁に恵まれ、「わたしらしさ」を存分に楽しむことができているのは、何ともありがたい次第です。

そろそろ、「あちら」で会うであろう人々とのご縁に備えて、今から色々と備えておくのも一興かもしれません。

 

思いもよらない「ご縁」に恵まれた惜春の日曜日。

春の陽ざしに輝く散り桜が美しい、ガラス張りの美術館のロビーで独り座り、ご縁の不思議と展覧会の余韻を噛み締めながら、ぼんやりとそんなことを考えていたのでありました。

 

↓先に紹介した作品の映画版…ですが、まぁとんでもなくぶっ飛んだ作品です。

特に、痛いのが苦手な方は絶対止めといた方が良いですw