一昨日、TVで
「不登校から東大へ」 とかいうタイトルで
ある通信制高校が 紹介されていた。
一人一人の特性に合わせ、
個々としっかり向き合い、行き届いた教育。
とても、良い高校なんだと思う。
でも、番組のそのタイトル… うーん…
なんだか。。 モヤっと感。。
先日、
五月雨登校の次男の友達のママが
「〇〇さんちの娘ちゃんも、
小学生の頃は 不登校だったんだって。
でも 今じゃ、県内トップ高校に通ってるもんね。大丈夫だよね。」
うーん…
それにも ちょっと モヤっと感。。
へぇ〜……と 笑顔で スルー。
今日は、妹がLINEで
「友達の子も、不登校だったんだけど
大学に行ったんだって。
〇〇ちゃんの子どもも、通信制高校から大学に行ったんだって。だから大丈夫よ。」
。。モヤモヤモヤモヤ。。
だーかーらーー。
目指すのは、そこじゃないからっ
妹には
「好きなことが見つかって、
楽しく過ごせれば それでいい。
大学に 行こうが行くまいが、
本人が 納得できればいいと思う」
と 返信した。
確かに
成功例として、大学進学…って、
わかりやすい。
私も 聞いたら、
ほぅーとか、へぇー とか、
すごいねーとか…思うけど。笑
それって、不登校生に 限らないでしょ。
それに、目標は 大学進学だけじゃない。
本人が、選んで 進めたなら
大学進学も
通信制高校でも
どんな仕事でも
どんなバイトでも
本人が 決めたことなら 大成功なんだよ。
やりたいことが見つかって
笑って過ごせてるようになれたら、
どんな場所でも いい
なんなら、それが自宅でも、いいの
あのTV番組も
「不登校から 東大」。。
インパクトのあるタイトルだけど。
そこに 焦点を当てるんじゃなくて
学ぶ方法は 豊富にあること、
様々な道があること、
登校に 囚われなくても いいこと、
などに、焦点が当てられると 良いのになぁ
と、思った。
「不登校」も 学ぶ手段の一つだと思う。
学校や 塾、フリースクール、自宅学習、
または 実際、仕事として社会に出ることも、
学ぶための手段。
選ぶための手段。
学校なんて、行かなくても
いろんな 方法があるんだよ。
自分に合う道を 見つければいい。
その為にも
不登校期間は 貴重な時期でもあると思う。
そこから、
東大に進む人もいれば、
専門学校へ進む人もいるだろうし、
好きな趣味が見つかる人も
自宅が落ち着くと感じる人もいるだろう。
自分で決められたなら、それが成功
さらに 充実して過ごせたなら 大成功
ただ それだけなのに
学校に 行かないことを
問題視することが、問題だと思う。
うちの近所に
ずーーっと、何十年も
自宅から出てこない方がいます。
60代後半の 男性。
回覧板は 回ってるから、
それで 安否確認できてる感じ。
その方が、
最近 時々 外を出歩くようになったそうで。
民生委員の方が、
「見かけたら是非 声をかけてあげてください!
地区の集まりに誘ってください!」
…と、近所の方々に お願いしてるんだけど。
そうなのかなぁ。。
…と、私は 疑問。
もしかしたら、その方は、
自宅で すごく 快適に
充実した日々を過ごしてるのかもしれない。
声をかけられることが 苦痛かもしれない。
人と 関わることも大事かもしれないけど
それを 強要するのも どうなのかなぁ。。
挨拶程度なら 良いけれど。
自宅で過ごすその方は、高学歴なんだそう。
だから どう…って、わけじゃないけど。
人の 幸せって、
その人が 決めることで、
周りから どう見られようが、
自分が 充実してればいいんじゃないかなぁ。
自分の好きなことが見つかればラッキー♡
見つからなくても
心地良さを求めて 過ごすことが
小さくても 幸せに繋がる気がします。
🏫息子を待つ 車の中で
そんなことを 考えています