2度にわたって、『学生ビザ取得の道』 を綴っておりますが、
今回は、「番外編」。
え?なに? って、
番外編が、必要になったのです。(* ̄(エ) ̄)/゚・

なかなか、濃~いぃ内容のため、途中読むのを挫折してしまう方もいるでしょう…
最後まで読んでいただいた方には、最後に、何かが訪れるかも、しれませぬ。

では、参ります・・・
突然ですがわたくし、ここで、 『ある重大な告白』 をいたします。
随分、さかのぼること4年前。
2008年の出来事でした。
すでにセカンドビザを取得し、2年間の滞在は終わっていたころ。
ただ、もう一度、オーストラリアへ戻りたく、ニュージーランドへ一旦出て、
「観光ビザ」 にて、再度オーストラリアへ入国したのです。
オーストラリア北端の、小さな町。
乾季時には大きな活気をみせる 「ダーウィン」 という町で
わたくし、アルバイトを、しておりました。
そぅ、
『観光ビザ』 で。
え? とお気づきになった方はさすが勘がするどい。
はい、観光ビザとは、その名の通り、 『観光するための』 ビザ。
「働くためのビザ」 ではないのです。
働けるビザとは、制限の厳しいオーストラリアではなかなか取得するのが難しく
唯一、若者向けに簡単に取得できる働けるビザが、「ワーホリビザ」なのだす。
しかし、私はすでに最大2年間で、しかも生涯1度しか取得できないワーホリビザを
取得・終了しており、すぐに他の働けるビザを取得することにゃんて、ほぼ不可能。
他に代表的な働けるビザとは、『ザ・永住ビザ』、そして、『ビジネスビザ』 くらい。
これらを取得するには何年もかかる上、本当に、難しい。 特に近年。
されど、どうしてもオーストラリアで働きたい。
なぜなら・・・・・
給料が、半端なくいいから…
ドヒャーン
ドヒャーン
オーストラリアはアルバイトでも、最低賃金は時給15ドル(約1500円)から。
ダーウィンや地方の活気ある時期の町では時給20~30ドルは当たり前。
ワーホリ中、かなり田舎の、日本人が私一人という町にて清掃業をしてた頃、
お掃除屋さんにして、時給は20ドルから。 いいときで40ドル、なんてことも。
お金貯めるのってこんなに簡単だったっけ…?って錯覚するほど、
出費もほとんどないので、がっつり貯金ができたのです。
ここで得たお金は、その後のオーストラリア放浪生活へと姿を変えました。
半年間のこの放浪、今振り返っても、かなり素晴らしい体験となりました。
中古車買って、オーストラリアの砂漠を途方もなくドライブし、田舎ばかりを周り
時には道端で出会ったオージー家族の家に泊めさせていただき、
宿は予約せず、その日に着いた町のバッパーに泊まり
バッパーもない田舎町や、町まで到着しない日にはテントで寝起き。 野宿のときも。
夜のドライブはかなり危険で、大型カンガルーは体当たりしてくるわ
奇妙な大鳥は飛んでるわ、そりゃドライブも命がけ。
ある日、道路に巨大なトカゲが!逃げてくれ~、あぁ轢いちゃうぅ~、と思った矢先
大トカゲさん、私の中古車を敵と勘違いし、逃げるどころか道路の真ん中に仁王立ち。
そしてびっくりするような大きな「エリ」を広げたではありませんか。
まさかの、エリマキトカゲさんでした。 あのときはごめんなさい。 ご愁傷様です…。
なるべく日が下りる頃は運転せず、日の出とともに目を覚まし
すっかり体内時計が動き出したのでいつの間にか時計はどこかにいなくなり、
携帯もなく、まっことに、自由 でありました。
気に入った町には好きなだけ滞在し、川や湖があれば迷わず飛び込む
しまいには楽だという理由で、ノーブラノーパンという、原始時代に一人タイムスリップ。
最終的には片田舎で、現地アボリジニさんたちと交流を深めるにまで至りました。
むろん、当時、日本にいる親戚からはヒッピーと呼ばれるように。
話は飛びますが、
アボリジニさんといえば、そう、あのアートで有名なオーストラリア原住民。
スピリチュアル的な感性を持ち、都会から離れひっそりと暮らしている方々。
ただ、近年、続々と都会にアボさんたちは進出し、ちょっと進化したご様子。
すっかりスピリチュアル精神を忘れた方もおり、日本人留学生に、たかったりします。
あまり大きな声で、「アボリジニだ!」なんて失礼なことを口走った日にゃ
アボさん、がっつりにらんできます、絡まれる日本人若造も増加し、
私が渡豪したての頃、日本人同士の間では
外出先でむやみに「アボリジニ」と言う固有名詞を使うのを禁止したほど。
代わりにアボリジニさんたちを、「先輩」と呼称し、
「駅前に、先輩がいる。」などど、誠に勝手な遊びをしておりました。
話はだいぶズレましたので、ここで元に戻りまして、
そんなこんな、お金の心配をせずに、いろんな経験をしながら
オーストラリアの地を、有意義に、優雅に、過ごしちゃったのでございます。
半年が過ぎ、そろそろお金も尽きたかな~ってとき、
また働きゃすぐ貯まる、と味をしめていたわたくしめは、
当時、観光ビザだったにも関わらず、
違法とわかった上で、アルバイトを始めたのでした。
なぜそんなことができたかって?
そう、以前ワーホリ中に持ってた、税金を支払うために必要な、
「タックスナンバー」 を未だに持っていたから。
タックスナンバーがあれば、働けるビザであると見なされ、働くことができたのです。
3ヶ月が過ぎ、また貯まったな~♪とニンマリしていたとき、制裁が、下りました…。
丁度そのときダーウィンでは、外国人、特にヨーロピアンの不法労働が多々あったようで
一斉に取締りが始まったのでした。
その日に検挙された人数は、軽く100人を超えたとか。
そんなこととはつゆ知らず、いつものようにカウンターでお客さんに勘定をしていると、
「Are you Ms. Qmi?」
なんて、ダーウィンでは珍しく黒スーツを来た男性2人に女性1人が
尋ねてくるではないですか。
なんで私の名前を知ってんねん…?と思いながらも
「Yes, I am!」
なんてニッコリ答えたら、ふふ、やっぱり、みたいな顔をされ、
移民局のものだけど…と、切り出されたのです。
え、えぇぇぇぇ~~~~~・・・・・・っっっ (( ・◇・)?(・◇・ )!?!?!?
と思う間もなく、移民局へ連行~。
昼下がりの移民局、とある個室に、
半べその日本人が一人、ぽつねんと椅子に座り
黒スーツの面々にぐるりと囲まれるのでした。
それはもぅ、
今までカンニングも万引きもしたことのない小心者正直者ですもの、
とんだ悪いことをしたのだと、今更になって動揺し始めるのでした。
移民局では、1時間くらいだったでしょうかね、インタビューを受けることに。
カメラが設定されて、そりゃもぅ、犯罪者ですよ。
スーツの女性からいろいろと質問され、片言の英語で必死に答え、
ただただ、祈願したのでした。 うちに帰しておくれ…っ、と。
祈願もむなしく、次は紙を渡され、反省文なるものを書きなさい、と。
そして、最後の最後にとんだ一言が、かの女性から飛び出したのでした。
「あなたは、今後3年間、オーストラリアの入国が禁止になるでしょう」 ・・・って。
ん、ええええぇぇぇぇーーーーーーっっっ・・・・・ (( ・◇・)?((・◇・ )) !?!?
と、とんでもないことをしてしまった…え!?ど、どゆこと…?
頭の中はもう真っ白。 3年間って…。 え?観光もダメだって?
大好きなオーストラリアから、き、きらわれったっ・・・・。
ふ、ふられたぁぁぁーーーーっ !!!!
が、数分後、何をとち狂ったのか、入国制限に「なるでしょう」と言われた
『なるでしょう』 に対し、天性の超スーパーポジティブ精神が見事はたらき、
もしかしたら「ならないこと」もあるのかも?で、運のいい私だもん、
「ならない人」 になっちゃったりするんだよねきっと。
なんぞ、一体どこから湧いてきたのか未だに不明な淡い期待を強く抱き、
なおかつ、反省文も結構出来栄えイイなぁ♪なんて、ちょっと満足したくらいにして
あまり深く落ち込まずに移民局を後にしたのでした。
今から思うと、あれは、あまりのショックに脳が耐え切れず、
楽観的な方向へ思慮するよう、今後訪れるであろう心身の負担を回避するよう、
潜在意識の中の私が下した、軽率な現実の私への配慮なのでは、…と、
ま今更どう理屈を述べようが後の祭りだが、そう考えられなくもないかな、なんて、ね。
ま、それはいいとして、
時は流れ、
1年後…
強制送還という形で日本に戻っていた私と韓国人の彼氏(現在の旦那ちゃん)。
もともとオーストラリアに永住する気満々だったので、
当時、永住権取得に有利だった「歯科技工士」の学校へ入学することを決め
IELTSを受け、卒業証明書などの書類を集め、留学エージェントや
入学先の学校とアレコレやりとりし、意外とあっさり入学許可され学費を支払い、
さて、学生ビザのオンライン申請するか!ってことで、申請。
で、
翌日。
移民局よりメールが。
「あなた以前、観光ビザで不法労働したでしょ?ちゃんと記録があるのよ。
3年間入国できないの知らないの?!できないのよ。悪いけど、あなた
3年間は、オーストラリアの入国を認めませんわよ!学生ビザは~、却っ下っっ!」
って、
こんなふざけた言い方じゃなかったけど、こんな内容のメールが来たのだす…。
え・・・ちょ、ちょっと、ま、待ってえぇぇぇぇ~~~・・・っっっ((( ・◇・))?((・◇・ )))))?!
ど、ゆーことですか?
・・・・。
いつもの、「なんとかなるだろ精神」 にすっかり身を任せ、
当時の潜在意識にまるっきし支配され、学校入学をさっさと決め
入金までも済ませた、にもかかわらず、ははは、コレはなんということですか。
なんともかんとも、なんとかなるかいな?と思ったりもしましたが、
いやはや、なんとも、なりませぬ出来事で。
ん~、いや~、・・・、 なめてたわぁ~。
はい、
完全に、なめてました。 この世の中を…。
世間知らずの甘ちゃん甘ちゃんとは言われてきましたが、はい、その通りでございます。
さすがのポジティブ人間もがっくりです。
こーゆーことってあるの…?
ってか、私どうなっちゃうの…?
いや~、もはや、 きょと~ん、です。
まぁ。 そのがっくりきょとーんも、
実は一日経つと見事回復しちゃうのですが。
ただ、その知らせを受けたその日は、さすがに、さーてどうしよう、3年って…と
今の旦那ちゃん(当時彼氏)とない頭をひねり、なんとかならないものかねぇと
考え、結果、なんともならないんだねぇ、と開き直ったのでした。
いいさいいさ、コレも何かの導きだ、と思い、カナダとか他の国に行こうかね~とか、
日本での生活をもうちょいのんびりエンジョイしてみようかね、とか
韓国行ってもいいし、とかね、意外と発想が広がって楽しめちゃったりして。 なんてね、
まぁ、凹んでても事実は変えられないので、前向きに考えたのですよ。
結果、日本で、もすこし生活してみよっかってことになりまして、
じゃぁこの際、ちゃんと結婚しようかってことになり、日本で籍を入れまして、
さて日本で就職でもするかと思いましたが、
久々の帰国で、しかもヒッピーから突然の社会復帰というのはなかなか踏み込めず、
日本でいろんなことしよぅっ、と思ってた中に、『農業』 という考えがあったので、
「酪農業」 を、選んでみました。
夫婦ともども、からっきし未経験者でしたけども。
動物と自然へのLOVEは底抜けなので、そこだけを売りに就活を始めると、
幸いなことに、夫婦ともども採用してもらっちゃったりして。
それから半年。
北海道の道東にて、酪農家のお宅でお世話になることになったのです。
あの日常は、一生、ホント、一生、 忘れないだす・・・
いいことも悪いこともあったけど、あんなに輝かしい日々はそうそうないのではないか
と、本気で思えます。
牛は・・・、
最高です・・





本当にシンドイ仕事だったけど、ますます自然や動物が好きになったし
いつか大自然の中、自由に野放しにした動物たちに囲まれて、自給自足の生活がしたい
と、つくづく思ったのでした。
ただ、本当に大変な仕事だったことは確か。
ニオイに関しても、すっかり鼻の機能を失うほどのすごさだったし。
休みは週に1日。 朝は5時起き。 夜は11時。
壮大な草原を駆け回り牛たちを牛舎に戻したり、
発情期を迎えた牛に猛烈に追いかけられて死にそうな目にあったり、
突然の出産に立ち会って泣いたり、子牛のミルクやりにはまったり、
きかない牛に蹴られて体中、青タンだらけになったり。
まぁそれはそれは、世のOLって楽だよな~、週2日も休みあって、9時-17時勤務って。
って、そんなことをフツフツ思うほど、
同世代が送る世の中の生活とはかけ離れた日々を過ごしたのでした。
酪農業の契約期間が終了した後は
フツフツの憧れを抱きつつあったOL様への復帰を果たしたくなり、
久々にIT企業へ再就職。
生活面でも、初めて、こじんまりとしたものではありましたが、自分たちの住処
賃貸に住み、新婚生活らしきものを味わい、旦那ちゃんも無事日本で就職したので
帰りを待って夕飯の支度をしたりと、夢に見た平穏な日々を送ったのでした。
週休2日、9時-17時勤務。 残業なし。 高待遇。
いやはや夢の社会人復帰や~♪と、初めこそはしゃぎましたが、
OLさんだって、そりゃもぅ、たやすくない。 そうでしたそうでした。
身体的には、牛の乳絞りに比べりゃぁ、天と地ほどの差があれど、
OLさまって、いろ~んな人間関係に、制約に規則に、気疲れ、そぅそぅ、
いろいろあるんですよねぇ~。 すっかり忘れておりました。
完全に、「ないものねだり」、ってやつですね。
どんな仕事もいろんな苦労があるんやな~…なんて、
当たり前のことを再確認させてもらったり。
しかし、人の優しさや厳しさを社会の中で学び、
いい社会復帰が果たせ、
家族や友達とはたくさん会い、一緒に過ごすことができ、
入国制限なんて災難や~と思ってた3年間の日々も、振り返れば、いい思い出。
そして、もうひとつ。
こりゃ、誰かに本当に導かれてるカモ私の人生…、この3年間の入国制限ってのは
かなり深い意味があったんだな…、っていう出来事が。
それは、永住権に有利、ということで入学を決めていた「歯科技工士」の学校。
実は、そのあと法改正があり、歯科技工士は永住権取得ポイントから外れることに…
もう十分、オーストラリアでは歯科技工士が足りてます、って判断されたようで
すっかり、高得点のSOLから外されてしまったのです。
も、し、 すんなり入学していたら、 卒業するころには、
これだけじゃぁ永住権取得できないっすよ、ってことになっておりました…
いやはや、なんだかなぁ・・ 不思議な人生の導きとやらもあるものだなぁ、
ということで、
今までなぁなぁにしてきた、「将来やりたいこと」 を真剣に考え初めてみたのですよ。
永住権なんて、取れるときに取れるんじゃい、永住ポイントなんぞに惑わされず、
「本当に好きなことをやろう!」 と決意いたしまして、2年くらいかけて、考えたのです。
自分は何がしたいんだろう、将来どうなりたいんだろう、って。
私は凡人だし、大してスキルもないし~…
やるとしたら少しは給料のいい仕事がいいしな~なんて欲も出てくるし、
ホント、意外に決まらないのですよ将来したいことってのが。
でもあきらめず、常にぼーっと考えていたのです。
そうして、ある日ふと結論付いたのが、『翻通訳者』 でございました。
今まで、かっこよさそうな職業だけど、私、帰国子女でもなければ英語も苦手、
自分には関係ない職種だにゃーと、ハナッカラあきらめていましたが、
なんか、 気になる。
読書が大好き、書くのも好き。
社交的なほうだし、人と人を結びつけるのが好き。
映画やドラマの字幕翻訳にも興味がある。
海外に住むならいつかは英語を完全にマスターしたい。
世界中のいろんな人を繋いで、コミュニケーションのパイプ役として
何か世界に貢献できる人になりたい・・・な。 ってなね、ことでね、
コレって、
翻通訳家、カナ。 って。
ホント、私の英語レベルなんて笑っちゃうほどだし、
自分が世界で~?!みたいな恐れおののく気持ちもあったんだけど、
最後に背中を押してくれたのは、うちの旦那ちゃん。
ん~、自分には無理だな~、これは自分の許容範囲外だな~、って
すぐ自分の限界に線を引いちゃう私とは対照的に、うちの旦那ちゃんは
自分で自分の可能性に線を引いたらそこで終わり!って考えの持ち主。
Qmiならできる!って、なんの根拠を元にそう断言できるのかさっぱりわからないけど
Master(修士号)まで取っちゃいな♪、自分がサポートするから♪、って微笑む。
修士号って・・・
いやさすがに、これから何年かかけてまた学生するのって抵抗あるんすけど?
いつかは子供も産んでみたいんですけど?
ってか、私、普通の人間なんですけど…?
ってグチグチしてたら、
Qmiが産みたいって思えば子供はいつでも産めるよ♪、 それに
Qmiはもう普通の人生を選んでないよ♪
って。
ははぁ~・・ それはそれは、大胆なご意見。
けど、子供の件は別として、「普通の人生」をすでに選択してないってのは、
確かに、そうだ。
すっかり私は、
20代中盤には結婚して、子供作って、幸せの中、子育てと専業主婦を楽しんで
都会のマンションなんかに住んで、優雅にエステなんか通ったり、ママ友とお茶したり
リーマンの旦那ちゃまと愛らしい子供に囲まれて生きていくんだわ…♪って
そうとしか想像できなかったけど、いやはや、この旦那ちゃんに出会ってから
めまぐるしく人生や価値観、考え方が変わっちゃいまして。
影響を受けやすい性格もあるんですが。
それを選択したのは、私。
だれに強要されたわけでもなく、自分でしたいと思って色んな選択肢の中から
選択してきたのは、この、私。
深層真理では、普通の生活がなんとなく自分には合わないって思ってたんだと思います。
ちょっと変わった考えしてるね~、なんて言われてたし
この社会の規制の枠にはまって生きてるのが窮屈で、オーストラリアへ飛び出したし。
再度、社会復帰して企業で働き出したときも、すごくいい環境だったにもかかわらず
やっぱりココは自分には違うな…、どこかに飛び出したいな、と思ってしまったし
この社会体制に常に疑問を持って、生きずらい世の中やな~と感じてました。
オセアニアに始まり、東南アジアや至るところを旅したり、
今に至っては韓国の片田舎でうなぎ屋さんのおかみさんしてたりと、
うん、考えてみれば、ますます私は、すでに型からはずれた人生を歩んでいるのです。
びっくりかもしれませぬが、
こんなハチャメチャな生活しててもなお、自分は平凡な人生を歩んでるって思ってました。
旦那ちゃんに指摘されるまで。
ああやって言われて初めて、あぁそうか、ならこのまま波乱万丈で進んでいけばいいんだ
これが、 私の人生なんだ って、非常に腑に落ちて、
なら、できない無理って言ってることも、とりあえずチャレンジしてみよっと、♪、って、
そんな風になったのでございます。
韓国に移り住んでからは、時間あるときにせっせと英語を勉強し、
傍ら韓国語もちょぴっと覚えたりなんかして、
1年が過ぎた頃には、オーストラリアの翻通訳科から合格通知がもらえたのでした。
短大卒の、英文科のくせして英語恐怖症の、計算系はからっきし苦手な、
こんな私でも、
あら不思議。
なんとなく信じて、それに向かって努力してみたら、
意外にできないものなんてないのかも、と。
できないって勝手に思ってるのは自分で、その考えを頭からすっぽり抜いちゃうだけで
不可能が可能になるんだな、と。
あら不思議。
今となっては、Masterコースまで入学したいな、なんて
以前じゃ考えられないような身の丈にあってないだろっって突っこまれる発想まで
しちゃっている次第でございます。
しかしどうしてここまでオーストラリアか?と申しますと、
オーストラリア、いいっすよ。 ホントに。
住み心地、気候、制度、文化に人々、
都会はどうかわかりませんが、のんびりしていて夢を描きやすい国。
どんなことだってできるな~、って気持ちにさせてくれる。
オーストラリアにこんな夢を抱くのは世界中にかなりの人がいるようで
近年、オーストラリアへの移住者はそりゃもぅ、相当な数にのぼり
十数年前までは簡単と言われたオーストラリア永住が、
気付けば今や、永住権取得するのは最難関の国、とまでなったわけでございます。
十数年前、どんどん移住者を受け入れるよ~と宣言していたオーストラリア。
一挙稼いでやるかと、ビジネス魂抱えたアジア人、ヨーロピアン、
そりゃもぅ、たーくさんの方々が移住していったわけですよ。
オーストラリアだって、働いて開拓していってくれる移民者さんはウェルカムです。
どんどんどんどん外国人に永住権を発行していって、
あれ、気付けば、
周りを見渡すと、成功を収めてリッチピープルになった移住者ばかり。
もともと頭のよい仕事の出来るアジアやヨーロッパの移民は
レイジーオージー(ごめんなさい…)と言われる、現地オーストラリア人を差し置いて
どんどん地位や職を勝ち取っていくではありませんか。
オーストラリア政府は慌てたわけですよ、
いい噂は瞬く間に広まって、オーストラリアへの移住希望者は世界中に溢れ
オーストラリア移民局は、ちょっ、ちょっとマッタァー!、
となったわけでありますよ。
まそこで、毎年のように法改正をし、移民を制限するようになり、
オーストラリア永住は徐々に狭き門へと変わっていったのでございますね。
いやはや、ここまで長くなりましたが・・、
そうそぅ、言いたかったことは、
学生ビザの申請は本来ならすんなり行くはずなのに、
私の過去の過ちにより、こっからが正念場という状況に立たされている、
ということでございます。
オンラインで学生ビザを申請後、
移民局より早速、不法労働について、連絡が来たのでございますよ。
計10項目くらいの英語にて質問が来たのでございますよ。
7日以内になんらかの返事をしないと、もうおしまいですよ…、ってなおどし付きで。
それから1週間は、留学エージェントさんに協力してもらって
せっせこせっせこと、英文の作成、必要書類の準備、健康診断の受診、などなど
そりゃもぅ、下りるかわからないビザに毎日ヒヤヒヤしながら
ただひたむきに、やるだけのことはやろうと、過ごしたのでございますよ。
なんとか7日以内に全ての書類も揃い、英文もでき、返信したのです。
いやね、いい教訓になりました。
『自分で蒔いた種は、必ずいつか、自分で刈り取らなくてはいけない』 んだ、って。
ここでちゃんと刈り取れば、自分が蒔いた種はきっとすっかり刈り取れるだろうと
そう信じて、とにかく一生懸命刈り取り作業をしたのです、ここ数日。
その後、次は電話でのインタビューを行いたいとのことで、
これまた心臓に負担となる課題が降りかかり、どんな質問がくるのやら
最近さぼってたオンライン英会話、あぁ、ちゃんとやっときゃよかったと悔やみながら
電話インタビューを受けることになったのです。
約50分にも及ぶ質疑応答。
そりゃもぅ、途中、汗が噴出して頭の血流がストップし、顔は真っ赤。
隣で冷や汗かいてる旦那ちゃんも見ればハラハラドキドキのご様子。
フンフン鼻鳴らすほど興奮し、頭からは湯気が出るほど熱気立ち
そりゃもぅ、恥ずかしくなるほど必死に答えたのですよ。
いやはや、ホントに翻通訳家を目指してるの…?ってほどの英語力だったけども。
けどね、ほら、結果はどうあれ、ほら、無事、全て終わったんです。
苦しいことも嫌なことも、かならず、終わりが来る、とはこういうこと。
終わったんです、あとは、最終判断を待つのみ。
ど、どうなることやら・・。
結果は、たぶん1~2週間後。
うわっははは~♪!とココにご報告できるか、
うぇぇぇへぇぇぇ~~~~っ…、て涙顔の絵文字が登場するかは、
さぁ、 乞うご期待。
長文になりやした。
最後まで読んでくれた方がいたなら、それはステキすぎ。
ありがとうございます…

最近、昔放送されてた大沢たかおさん主演の「JIN-仁-」にはまり
夜な夜な全話とおしで見ていたら、すっかり、あの「江戸言葉」に酔ってしまい、
特に、中谷美紀さんの野風役、「~ありんすぅ…」が耳から離れず
あら気付けば、
ブログが変な口調になってしまいやした、とさ。
こんな記事ですが、
日本の片隅でオーストラリア移住を目指すも、過去に違法・違反・不正・不法をしちゃって
あぁ、困り果てたぁ…、となげいている方がいらっしゃれば、
なんとかなるかもよと、少しは励みになるのであれば
この赤っ恥をインターネット上で公開してしまう私の過去の過ちも
少しは人の役に立つのかな、ってことで。 はい。
世界のどこかで、もしかしたら、誰かの役に立ったかもしれない、と
そんな想いを胸に、長文をここで終わりにしたいと思いまする。
-完-
改めて、ありがとうございました (● ̄ω ̄●)ノ
