平成28年 池尻町だんじり祭り。 | 元・ゴミ屋の日記

平成28年 池尻町だんじり祭り。

祭りが終わって一週間以上も経ちますが、ずっと記事も更新せずにいてしまいました。
今年は色々とありまして、中々総括するのが難しく、また、仕事も忙しく睡眠を取るのもままならない日々が続いたので放置してました。

取り敢えず、祭り云々の事は他のサイトやブログでも書かれていますので、今年も完全に自分目線で書いていきます。

今年は前梃子、足回り、ブレーキと三本柱で祭りに挑みました。
本格的に僕の調整で走らすのは今年が初めてです。
前年も7割位はやらせて貰いましたが、今年は今迄してくれていた先輩が若頭の責任者をするので、完全に僕に移行した訳です。

祭り前から必死に調整して迎えた曳き出しの朝。
やはり、人より早く集合してだんじりに潜り最後のチェックから始まります。
その後、お龍さんにお参り前に小屋で相方と記念に一枚撮っておきました。

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今年は相方念願のミスドからの曳き出しです。
曳き出しをイメージして技を磨いて来たのに、いざ僕らのコンビが曳き出しを任せて貰える時には、まさかの農協側になったので、僕も相方もビックリしたのが去年です。
今年はミスド側からに戻ったので、志願して2年連続となりますが曳き出しを持たせて貰いました。

中々えぇ勢いで行けたと思います。



ミスド前の逆カワセも無難に行けて僕的にはホッとしました。



然しながら、1番難所と考えていた神社に行く前の阪口金物店前の交差点で僕が又もや要らん一発を突いてしまい、残念な結果になりました。。。

神社の往路でのやりまわしです。



あら、貼り付けられる動画が三本までの様なので、動画はまた別記事にて載せます。

と、いう事でここからはいきなりですが一気に僕の総括に入りたいと思います。

上記にも述べた様に、今年は僕らのコンビが何処までやれるのかを試された1年でした。
それなのに、神社の帰りの農協でだんじりを電柱に当てるの云う大失態を仕出かしてしまいました。

僕が120%は悪いと思います。

だんじりをぶつけた時に誰が悪いかなんて無いとよく言われます。
曳きの無かった青年団も悪い。取り切れなかった後梃子も悪い。ブレーキのタイミングも悪い。などなどと言われます。

そうなのかも知れませんが、あの事故は僕が前梃子として防げた事故だと確信を持てるやりまわしでした。
そういう、未然に防げた事を自分の失態で防げ無かったのだから、原因は完全に僕自身だと思います。

前梃子を持たせて貰って5年目。
周りも見え出し、少なからず余裕と自信も出てきたのは本音です。
上手い事、僕がだんじりをセンタードンピシャで回したろと云う色気が出たのも事実です。
特に相方が農協手前の藤本スポーツの角を曲げた時に、相方ながらに、こいつほんまに上手いなぁ。と思い、対抗心で俺も上手い事曲げたろうと思った所が、自信じゃなくて慢心だったのかも知れません。

結果は、突くのを遅らせた挙句に着いた時に今迄経験した事もないハイパーバイーンをくらい、そのまま曲がらずに電柱に激突。
凹んだ屋根、浮いた枡組を見る度に泣けて来ます。
そして、先輩からは相方が死んでまうどと怒られました。
逃げるのが見えたので、その一瞬は助かったと思いましたが、逃げ遅れていればどうなったかなんて分かりません。
相方を危ない目に合わし、だんじりを傷付け、本当に僕はクソみたいな前梃子だなと思います。

その後、昼の間にブレーキのスプリングを旧式取り替え調整をする事になったのですが、その時に潜らないと言っていた若頭責任者を結局だんじりに潜らせて調整をさせてしまった事は、二回目の痛恨です。

この出来事で僕が失った物は、周りからの信頼なんだと思いました。
前梃子として、ブレーキ調整者として、1番大事な信頼がなくなりました。
さして、信頼されていたとはまだまだ思えませんでしたが、それでも0では無かったでしょうから、とんでも無い物を無くしてしまいました。

これから、コツコツを積み上げて行くしかありません。 
先輩が安心して見ていられる様になるしかありません。

失った事で、大事な物も得れたと思います。

その後、失敗した前梃子への処方箋はリベンジと相場が決まっています。
昼からの農協を責任者コンビが僕らと代わってくれました。

2連ちゃんで当てるとなると、流石に前梃子クビも覚悟しなくては行けない状況ですが、先のハイパーバイーンで左手を負傷しており、正直スパナも握れない状況でした。
絶対に成功させらなあかんのに、痛すぎて梃子も抑えられないわ握れないわで、さてどうしたもんかと思いながら農協に到着。

もぅ、ここまでくると手がもげようが千切れようがやるしかありません‼︎
何とかそのやりまわしをセンターに向けれてホッとしました。

その日の残りのやりまわしは殆どミスド側からだったので、相方が大体真っ直ぐ向けてくれたので、無事に終了。

残すは23時からの地獄の駒替えとなりました。
目標1時30分に設定して一丸となって駒替えです。
駒替え、予備組み、ブレーキ調整、何とか目標を達成しましたが、帰って風呂に入って寝る頃には2時を過ぎており、2日目の5時30分集合から考えたら、全力で早く終わらせても、さして寝れる訳ではありませんでした。

2日目は深夜早朝からの雨を引きずり、生憎の天候。
行基参りに雨が降るのは62年ぶりだそうです。
厳密には池尻町が入る時には止んでいたのでウチ的には無雨記録更新中ですが、その後降って来たので行基参りとしてはやはり雨でした。

今年は初めて行基参りの時にだんじりに着かせて貰いました。
寺の角は難しく、しかも雨なのでアウトの土嚢の上を走る事も覚悟していましたが、先輩が上手く曲げてくれました。
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昼からに合わせて、前と後の駒替えを45分でしなくて行けなかったのですが、それも何とか5分前に終える事が出来ました。

ただ替えるだけなら行けますが、ブレーキの調整が我が町はシビアなのです。
その調整を先輩に頼りながらも終わらせれた事は1つ良かったと思います。

今年は青年団も男気をみせて、頑張って曳いていたと思います。
僕は色々な意味で頭を打ち、怒られ、成長も出来たと思います。

もぅすぐ、言うてる間に先輩に頼れなくなります。
自分らが頼られ、後輩を助けて責任を持って祭りをやって行かなければならなくなります。
 
ここからの1年、1年は今年以上の気合いと根性と努力で乗り切って行かなければならないと思います。

相方共々、胃潰瘍で完全に穴があかない様にしながら、頑張って行きます。