というわけで、山本譲司さんのこの本を図書館で借りて読んでみました。
累犯障がい者のことを考える際には必読の本です。
一部、引用します。

山本譲司『獄窓記』(ポプラ社、2003.12)

 

そこは「塀の中の掃き溜め」と言われるところだった。汚物にまみれながら、獄窓から望む勇壮なる那須連山に、幾重にも思いを馳せる。事件への悔悟、残してきた家族への思慕、恩人への弔意、人生への懊悩。そして至ったある決意とは。国会で見えなかったこと。刑務所で見えたこと。秘書給与事件で実刑判決を受けた元衆議院議員が陥った永田町の甘い罠と獄中の真実を描く。

獄窓記

□序 章 
■第1章 秘書給与詐取事件
 □政治を志した生い立ち
 □菅直人代議士の秘書、そして国政の場へ
 □事件の発端
 ■東京地検特捜部からの呼び出し
 □政策秘書の名義借り
 □逮捕
 □起訴
 □裁判

 □判決

 □弁護士との打ち合わせ
 □妻への告白
□第2章 新米受刑者として
□第3章 塀の中の掃き溜め
□第4章 出所までの日々
□終 章 


第1章 秘書給与詐取事件

東京地検特捜部からの呼び出し

週刊誌報道から3ヶ月ほど経過した8月30日、東京地検特捜部の検事から、立川の事務所に電話が入った。
その日、私は、栃木県の鬼怒川温泉で開催される労働組合の大会に出席するため、早朝から地元を離れていた。電車を乗り継ぎ、大会会場に駆けつけ、挨拶を済ませると、すぐに、地元日野市で行われている労働組合の大会へと引き返した。日野市のJR豊田駅に迎えに来た公設第二秘書のDは、私が車に乗り込むと、心配そうな表情で話しかけてきた。
「東京地検から、連絡がきています。5月に出た写真週刊誌の記事の件で、山本さんとAさんに話を聞きたいとのことです」
突然、胸の鼓動が早まった。
「わかった。でも、きょうこれからのスケジュールは、ちゃんとこなそう。そのあとに、地検に連絡するよ」
私は、急いで労働組合の大会に向かい、国政報告を兼ねた挨拶を済ませた。さらに、日野市で行われていたカラオケの会にも顔を出したが、挨拶代わりに「みちのくひとり旅」を一曲歌っただけで、早々に席を立った。気もそぞろだったのだ。
午後8時過ぎに、ようやく立川の事務所に戻り、担当検事と連絡を取った。
「週刊誌にああいう記事が出てしまうと、われわれも動かざるを得ないんです。あまりご存知ないかもしれませんが、密かにですが、政治家の先生方の事情聴取は、結構やっているんです。そんな程度のことです。われわれとしても、早くケリをつけたいんで、早めにお会いできないでしょうか。それから、私どもは、マスコミに情報がもれないように細心の注意を払っていますから、どうぞご安心ください」
検事は、そう切り出してきた。
私は、「わかりました。結構ですよ」と答えながら、手帳を開き、スケジュールの確認をした。翌日は、どうしてもキャンセルできない会合が重なっており、結局、翌々日の9月1日に聴取に応じる約束をした。時間は、午後1時からだ。
「場所は、東京地検の五反田分室でどうですか」
私が「どこでもいいですよ」と答えると、すぐに、その場所の地図がファックスで送られてきた。第一秘書のAは、8月31日の午後1時に、やはり、同じ五反田分室に出向くことになっていた。だが、私とは、担当検事が違っていたようだ。
その後、私は、政策秘書のSが手配していた弁護士に会うため、弁護士事務所のある新宿へと向かった。S秘書、A秘書、D秘書も一緒だった。
弁護士は、Tさんという人だ。これまでも、政治家の絡んだ刑事事件の弁護活動をいくつか手掛けてきた弁護士で、年齢は50歳ぐらいである。
T弁護士を交えての協議は、深夜にまで及んだ。しかし、地検がどこまでの情報を掴んでいるのかもわからないし、とりあえず検察側の話を聞いたうえで今後の対処法を考えようということになった。自宅マンションに帰り着いたのは、午前2時を回っていた。実は、この10日ほど前に、妻の懐妊が判明していたのだ。結婚後、なかなか子供が授からなかった私たち夫婦にとっては、待望久しい妊娠で、手を取り合って随喜の思いに浸ったばかりだった。ただし、心配はあった。当時、妻は35歳という年齢で、高齢出産だったのだ。
「赤ちゃんの成長が安定期に入るまでは、精神的、肉体的プレッシャーがかかるようなことは、絶対に禁物です。できるだけ、リラックスした環境の中で過ごすようにしてください」
産婦人科の医師から、そう釘を刺されていたようだ。つわりも、日々ひどくなっている。したがって、妻には、地検からの呼び出しがあったことも、弁護士との打ち合わせのことも、一切、話はしなかった。

(つづく)


記者会見で、選挙も乗り切ったのに、検察からの呼び出しをくらいました。

山本譲司氏、大ピンチ。

 

獅子風蓮