前回、東大OB医師である坂本二哉(つぐや)氏が「鉄門だより」に寄稿した「告発文」についての雑誌の記事を紹介しました。

実は、私も東大医学部のOBですので、毎回「鉄門だより」が送られてきます。
しかし、坂本二哉の記事は、表題も地味だったので、スルーしてしまいました。
慌てて、古紙の束をひもといて該当の記事を探し出しました。

全文は別のところ(獅子風蓮のつぶやきブログ)に書きました。
東大OB医師の告発 その2(2024-06-27)~

一部を引用します。


鉄門だより 令和6年4月10日発行

晩鐘の時
坂本二哉氏(1954卒)

患者思いの開業医だった父
(前略)
私の父は北海道は霧の街釧路の開業医、5人の息子はそれぞれ医師となったが、長男と末弟は病院医師の不注意で疾病を見落とされ、かつその後の検査・治療を閑却されて死去、そして次男の私も多病、年がら年中病気にかかって残すところ幾ばくも無い。
(中略)
父は街の人にとり慈父のような存在で、私は子どものころから医師と患者との睦まじい交流をよく見て来た。
(中略)

東大に入り第二内科に入局
だが患者に慕われる父を見て育った私は、入局後、極度の不信に陥った。まるで表と裏、医師と患者との考えられないほどの葛藤、相克がそれだった。よく言われたが、「医師と看護婦の専横を許容し、過酷な検査に耐え、不味い食事を我慢するだけの『健全な』身でなければ東大病院には入院出来ない」というのは半ば事実であった。そしてわが身もそれに従わされ、回顧すればするほど、患者に対して優しくするよりはいかに過酷な態度を取って来たかという自分に対し、未だに深く自責の念に駆られているのである。
顧みると昭和30年初頭迄の入院患者は実際可哀想であった。一般家庭にはまだ電話が無かったから、入院は電報通知で慌てて駆け込み、ベッドは藁ベッド、布団、枕など一式は当時の好仁会から一日幾らかで借り受ける。冷たい食事は8、12、16時の4時間おき、大部屋はカーテンなど無く10~12人部屋、個室にもトイレや風呂は無く、入浴は小さな風呂で週2回の順番待ち、無論テレビは無く、ラジオは無音。野外に好仁会喫茶はあったが患者はまず利用無用。これでは強制収容所に等しく、窓からの飛び降り自殺もあった。また患者に対し、あえて苗字を呼ばず、「お前、貴様」などと呼ぶ医師とは、時として病室前の洗面兼料理台でこっそり不法な調理をしている患者などとの刃渡り喧嘩さえあった。大きな当直室でマージャンに熱狂していて、臨終に立ち会えなかった不埒な医師もいた。
(中略)
一番ひどく泣いたのは5歳女子のファロー四徴症手術過誤死だった。手術が終わって帰室する際、気管内挿管が緩んでいるのに気付いた医師が搬送中に歩きながら再挿入し、それが気管を突き破り、以後、酸素濃度が下がって行くのを見て慌てたが後の祭りだった。葬儀では父親から「お前が殺したのだ」と怒鳴られ、「起訴を……」と言いかけたが玄関から追い出された。そしてその後、外科側からの説明や謝罪は全く無かった。
大学の他の科でもおかしいと気付き始め、君子危うきに近づかずとばかり胸部外科送りは頓挫し、私はそれ以後、すべての患者を新潟のA教授の許へ送っていた。

肉親も医療過誤に
(中略)

日本の専門医制度の問題
時代は下る。大学を去って市井の病院や診療所通勤となると、一兵卒となって自由度が増す。危険な事態も激減した(かに見えた)。いろいろな会に出席して毎度批判めいた議論をしたりして楽しんでいるとき、びっくりするような会話を耳にした。「僕のところなんか、心タンポナーデなんかしょっちゅうだよ」。冠動脈検査用のカテーテルが動脈を突き破るという事態は滅多に見られないが、そこの病院ではそうしたミスがよく起きるという。振り返ると東大循環器内科の教授であった。私は恥ずかしくなってその場を離れた。聞くところによると、専門医の資格を得るために、患者が実験対象になっているという。
私は日本の専門医制度を根本から疑問視している。
(中略)

MVP閉鎖不全例での考えられない手術失敗例
(中略)
近年、MVP閉鎖不全例での考えられない手術失敗例を、私の外来患者さんから聞かされた

(中略)
その患者さんの御亭主Kさんは、別の疾患で東大医学部とは古くから非常に縁の深いセンターを受診、そこで後で見ると上述のMVPによる僧帽弁閉鎖不全で手術に失敗、東大に搬送され延命処置を行ったが、冠動脈への過剰な空気漏れという考えられない重大ミスで心筋梗塞を起こしており、救命には至らなかった。事の詳細は最近の朝日新聞にも載っている(2024年3月6日)。もう3年近く経ち、奥様は多くを語られないが、その友人の患者さんはことあるごとにそのセンターの対応を非難しており、また事故原因究明を行わず、再発防止策も講ぜずに診療を継続していることに対し、多くの著名な心臓外科医がそれを批判し、学会でも問題にしていると聞き及んだ。不肖、私の家内もそこで随分ひどい目に遭っていたので、他人事とは思えなかった。そしてひょんなことから、死亡例の弟御が鉄門の後輩であり、またその血縁に医学部の恩師福田邦三生理学教授や憧れの哲学者・出隆東大教授がおられることを知り、他人事とは考えられなくなった。そして一方では、時代が変わっても一部の医師には依然として昔のような隠蔽気質が残っており、それが鉄門の医師たちでもあることを知りとても悲しくなった。これは隠匿と言うより背徳である。残念だが許せない。
義を見てせざるは勇無きなりと言う。私は率先して関係する会に出席し、さらなる最近の実情を知って驚愕した。不審な事態は「医療事故調査制度」に報告する然るべき慣例があるのだが、それを順守している病院は微々たるもので、よしんば患者からの要請があっても、真面目に応じる病院は稀であり、皆、逃げ口上に終始している。医療の風上にも置けない状態と言っていい。
土台、実験的な手術(これは医学の進歩のために欠かせない)ならばいざ知らず、既に確立された手術手技を施行する際、「万が一を想定する」というような誓約書に患側の署名を要求するとう医療制度はおかしいのではないか。それなら医師側に対して患者側から「手違いや(死亡も含めて)患者側に万が一のこととがあればいかに対応するか」という具体的な対処を求める誓約書があって然るべきである。そうすれば、医師側は否応なく謙虚になり、更に真剣に対処するようになるのではないか。

今こそ破邪顕正の剣を
現今、医師の「上から目線」がちらついていて気になる。私の家内の場合は、同じセンターに緊急入院し、数十日も遅れてから呼び出され、5時間も待たせられた挙句、暗がりで誓約書を読む暇も無く、「とにかく早く署名捺印せよ」で押し切られた。乱暴なセンターで、術後の説明もほとんど無く、電話すると「うるさいな」で終わりであった。明らかに「手術してやったのだから後はかれこれ言うな」という態度で、私は呆れ、更に数十日経って、退院許可を出したがらない病院側を無視して強引に転院させた。3ヶ月ほどの絶食、寝かせきり状態で手足は硬直化し、家内はミイラ状態となっていた。
このように、医師の無責任体質と隠蔽体質は残念ながら昔も今も変わらない。今現在、事故は間断なく発生し、しかも巧妙に隠蔽され、患者が臍を噛む事例がほとんどである。
今般のKさんの手術ミス事件には、病院側に加担する海千山千の鉄門医師たちもいるが、大方の善意の医師は手術の失敗を指摘している。しかし半ば傍観的で、孤軍奮闘してでも、積極的に膺懲の剣を取ろうとされる権威者は残念ながら多くはない。だが本来慈悲深い人間であらねばならぬ医師が、弱い者いじめの権威至上主義の徒であってはいけないのだ。
老躯のわが身は、鉄門諸君が破邪顕正の剣をかざし、声を大にして立ち上がって欲しいと念願する。今まさに不正の医師を弾劾すべき時である。そうでなければ、心配の種が尽きぬまま、無念残念、私はあの世へ旅立つことになってしまうのである。
 


 聞くところによると、専門医の資格を得るために、患者が実験対象になっているという。

ここは、厳しく追及してほしいと思います。専門医制度の問題点として……


老躯のわが身は、鉄門諸君が破邪顕正の剣をかざし、声を大にして立ち上がって欲しいと念願する。今まさに不正の医師を弾劾すべき時である。

 

鉄門の先輩である坂本二哉先生が「破邪顕正」という言葉を使っているのに、少し驚きました。
「破邪顕正」という言葉は、日蓮系の宗教教団でしばしば使われる言葉だからです。
ネットの辞書で調べると「破邪顕正」は仏教語と出ます。『三論玄義』が出典だそうです。でも、日蓮系に限った言葉ではないようですね。



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獅子風蓮