寮美千子さんは、「奈良監獄物語」という絵本も出しています。

 

 


絵本ですから、分かりやすいことばで、「奈良監獄」を主人公にして話がすすみます。

すてきな絵本ですが、文章のみ紹介したいと思います。


目次

□坂の上の赤煉瓦
□美しい刑務所
□明治五大監獄
□黒船来航と不平等条約
■ギス監から近代的監獄へ
□囚人たちが積んだ赤煉瓦
□五翼放射状舎房
□暗い時代
□阿修羅さまたちの疎開
□若草理容室
□花火
□監獄法の改正
□やさしさを響かせる楽器
□取り壊しの危機
□町の人々の願い
□喜びと悲しみ
□別れの演奏会
□未来への船出
資料編
・奈良監獄建築配置図
・明治五大監獄
・旧奈良監獄の歴史


ギス監から近代的監獄へ
 

めざましい勢いで力をつけていった明治政府は、
1876年(明治9)、領事裁判権の改正を求めた。
しかし、西洋諸国は、こういって、応じてくれなかった。
「日本には、まともな法律も、ろくな監獄もない。
そんな状態で、わたしたちの国の民を裁かれ、
収監されてはたまらない。
それでは、人権侵害になってしまう」

そのころ、奈良で監獄に使われていたのは、
江戸時代の奉行所の牢屋。
キリギリスの虫カゴに似ているので
「ギス監」と呼ばれていた。
狭い部屋に4人も5人も詰めこまれ、トイレは床に空いた穴だ。
監獄に入ることを
「くさい飯を食う」というが、
大小便の臭う場所で食事をしなければならなかったことからきている。
たしかに、ひどい環境だった。

条約改正の交渉開始から18年後の1894年(明治27)、
明治の政治家たちの努力により、ようやく領事裁判権の撤廃が約束された。
実施は5年後。それまでに、法律も監獄も整えなけばならない。

5年後の1899年(明治32)、
監獄則が改正され、外国人への処遇が定められた。
約束の5年後には、なんとか間に合わせることができたが、まだ不十分だ。
司法を整備し、だれが見ても文句のつけようのない近代的監獄を建造して、
大日本帝国の底力を、西洋諸国に見せつけてやらなければならない。
近代国家に生まれかわろうとする日本の意地の見せどころだった。

維新の志士たちは、本気になって司法の改革に取り組んだ。
監獄の運営建築費を、地方から国庫に移し、
近代的な監獄の建設のために、莫大な予算をつけた。
「明治五大監獄」と呼ばれる、国の威信をかけた大事業の始まりだった。
ようやく、わたしの出番だ!

 



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獅子風蓮