インタビューには、力があると感じます。


私が医師になって間もないころに読んだ本を紹介したいと思います。

スタジオ・アヌー編『家族?-100人の普通の人々による普通の人のための人生相談』(晶文社、1986.09)という、537頁もある厚い本です。

この本の中に、子どもを髄膜炎菌感染症で亡くした母親のインタビューがあるのです。
題名は「子供の死 もっと抱いてやればよかった……」ですが、私はかってに「みいみのかあかあ」と名付けています。

何回かにわけて紹介したいと思います。


子供の死
もっと抱いてやればよかった……

(みいみのかあかあ)


古宿敦子(41歳)

(つづきです)

美穂が死んだ病名は“流行性髄膜炎の電激型”っていうの。正式な名前は“ウォーターハウス・フリードリュクセント症候群”。よく覚えてるねって言われるけど、もう、かたきの名前は忘れないわよ。

朝、元気にね、保育園に行ったの。そう、私のひざに来ようとしたお兄ちゃんを、目覚まし時計でなぐった日。そうしたら、その日の10時半ごろ、保育園から職場に電話があってね、「少し熱があるんですよ、お母さん。でもまだ7度ちょっとだから、お昼は食べさせておきますから」って。で、私も「じゃあ、11時半にはお迎えに行きます」って、職場に早退をたのんで、お迎えに行く準備をしてたの。そうしたら、11時15分ごろかしら、また、保育園から電話があって「熱が9度まで上っちゃったんです。すぐ来てください!」。私、あわててふっとんでいったの。
保育園にお迎えに行って、その足ですぐ近所の総合病院に行ってみてもらった。診察を待っているあいだにもね、引きつけを起こして、そして吐き気もきたの。でも、医者は「熱が高いせいだ」っていうの。小さい子って、熱で引きつけ起こすじゃない。医者は「扁桃腺の熱だから、心配ないと思うけど」って言ったわ。確かに、のども真っ赤だったのよ。で、薬をもらって帰ったわ。
“扁桃腺”だと思った。医者もそう言うし。だから家へ帰って、薬を飲ませて寝かしといたの。もっとも、薬は、薬どころか水まで吐いて、受けつけなかったの……もしもあ の時、私が無理に少しでも薬を体に入れておけば、もしかしたら多少は違ってたかもしれないって……今でも思うの。でも、自家中毒で入院したことがある子でしょう。吐かれることに、恐怖感があったのね。「そんなにダメなら、無理に飲まなくっていいわ」って。無理にでもね……まあ、みんな吐いちゃったかもしれないけど……。
で、いつものように、二階にひとりで寝かしておいたの。まさか、そんなに悪くなるとは思わなかったから。私、その日はビーフシチュー作る予定だったのね。で、寝かした まんま、下の台所でビーフシチュー作ってたの。6月だっていうのに、すごくむし暑い日だった。
台所をしながら、二階に美穂を見に行くたびに、なんかこう、グッタリしてくるような気がするの。でも、はじめは“このむし暑さのせいだ”と思ってたの。そうしたら、夕方近く見に行った時に、ひどくグッタリした美穂の、手や足のつけねのやわらかい場所に、小さいごま粒みたいな紫色の斑点が出はじめたの。私、これはなんだか普通じゃないと思った。すぐに、さっき行った総合病院に電話したの。
4時半ごろだったかしら。そうしたら「もう、小児科の先生は帰っちゃったので、夜勤の先生が来しだい連絡します」って言うの。お父さんにも「美穂の様子がおかしいから」って、早く帰ってもらうようにして、そして、病院からの連絡を待ってたの。
そうしているうちにも、ごま粒みたいな紫色の斑点は、少しずつ増えているの――なんだろう、なんだろうって――私、それがすごく気になってしょうがなかった。結局、それがくせものだったんだけど、お医者さんにも婦長さんにも、最後までわからなかった。
病院から電話がきたのが、夜の7時ごろだったわ。すぐに病院に連れて行ったの。日も悪かったのね。その日の夜勤の先生は、形成外科の先生だったの。私、紫色の斑点のことを言ったのよ、「紫斑(しはん)じゃないですか?」って。夜勤の形成外科の先生は「これは、私たちじゃちょっとわからないから。明日、小児科の先生が来てから、よく見てもらいなさい」って言うの。私、「でも、増えているんです!」っていくら言っても、わからない、わからない……それだけよ。最後には婦長さんに、「あなた、紫斑って、そんなの、シロウトにわかるもんですか!」って叱られたのよ!
でも、「とにかく、脱水症状も起きているようだから、点滴をしましょう」って。点滴をしているうちにも、どんどん増えているの、その紫斑は。
ところが、小さい子供って、ほんのちょっとしたことで、症状がすぐ変わるのよね。点滴一本で、グッタリしてた子がすっかり元気になったの。それで、喉が乾いたのね 「ヤクルトちょうだい! ヤクルトちょうだい!」って……点滴入れている時は飲ませないほうがいいって……吐くからって……ヤクルト、ヤクルトって言うのに、とうとう、あげなかった……。
9時ごろ、お父さんが病院にかけつけた時には、とっても元気になっていてね――ウンチをしたいっていうから、便器でとったら、これがまた、いい便をしてたのよ――お父さんも、「これなら、明日、社内旅行いけるなあ」って。次の日、社内旅行だったのよ、お父さん。
元気にはなったけど、紫斑は消えなかった。消えないどころか、どんどん増えているの。私、どうしても気になったんだけど、いっくら先生や婦長さんに言っても、取りあってくれないし……そのうち、病院は消燈時間になっちゃったの。電気が消えて、まっ暗になって……とにかく、私も美穂の隣に横になった。そのうちにね、12時ごろだったかしら、美穂の吐く息が荒くなってきたの。ハアッ、ハアッ、って言ってるのよ、普通の息じゃないの。とにかく「すいません」って言って、電気をつけさせてもらって……電気をつけたら、美穂は、もう、全身紫色になっていた。
私が「死んじゃう!」って、大さわぎはじめて、医者があわててとんできた。女子医大の付属病院だったから、すぐ女子医大呼び出して、救急車を呼んで……私は、「うちに電話して!」って叫んだの。医者は「うちなんかより、救急車で運ぶほうが大事だ!」って言ったわ。私は「お父さんを呼んでちょうだい! この子、もう、もたないわ!」「もつかもたないか、そんなこと、わからないじゃないか!」……私と医者がやり合っていたら、みかねた病室の人が「電話番号を教えなさい、家へかけてあげるから」って。それで、救急車が着くのと、お父さんが自転車でふっとんでくるのと、一緒だった。点滴したまんま、救急車にのせて救急車の中でダメだったの。
女子医大に着いて、医者が急いで出てきて心臓のマッサージやったりしてたけど……お父さんが「もうダメだ。あれ……初台のあたりだったなあ」って言ったわ。医者が「もうダメです」って言ったのが2時2分だったから、実際はもう少し前に、息をひきとってたの。
ほんとうに、急だった。午前中に熱出して、病院に行って、家に帰って、夜、また病院に行って、私が電気をつけたのが夜の12時ごろ。死ぬまでのあいだ、12時間ちょっとよ。それだけしかなかった。

(つづく)


解説

最初の受診した時の小児科医のことは責められないかもしれません。

最初は扁桃腺の発熱と思われたのはしかたがなかったのかもしれません。

しかし、紫斑が出現し、徐々に増えていくのは尋常ではありませんね。

もっとはやくしかるべき医師に診せ、転院を考えるべきでした。


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獅子風蓮