私はラインは主に家族としかしていませんので、とくに意思疎通に困難を感じたことはありませんでした。

しかし、会社などで上司からのラインの連絡に、必要以上に恐怖を覚える若い世代もいるんだそうです。

d-マガジンでこんな記事を読みました。
 


AERA 1月22日号
「。」に怒りの感情読み取る若者
句点が生み出すコミュニケーションギャップを探る
LINEのメッセージの「句点」は怒りの意思表示――?
すれ違いの理由を探っていくと、思わぬ共通点にたどり着いた。


えっ、怒ってるのかな――?
佐賀県内の大学に通う25歳の女性はある日、バイト先の年上世代の店長に「熱が下がらず明 日は休みたい」旨のLINEを送った。返信で了解はしてくれたものの、最初の「お疲れ様。」 に考え込んでしまったという。「ふだんは絵文字を多用する人なので余計に、なぜここに「。」(句点)が付いてるんだろう、と怖かった。LINEのやりとりに「。」があるとすごく気になります。同じ言葉でも「ごめん無理」なら忙しいのかなと思えるけど「ごめん無理。」だと、あー何か怒らせたかなと……

終止形は高圧的に響く
九州の大学に通う22歳の女性も、LINEでの句点には違和感を持ってしまうという。
「ふだんはフランクに話してくれる目上の人から「そうだと思います。」などと書かれると、なぜそんなにかしこまるのだろうと。怒りの意思表示なのかなとか、「あなたとはそこまで話したいわけじゃない」ってことかなとさえ考えてしまいます」
若い世代はLINEなどSNSでの「打ち言葉」に句点があると、そこに違和感、とくに「怒りの感情」を読み取ってしまうらしい――中高年世代からするとにわかには信じられない話だろう。その理由を探ってみた。
まず話を聞いたのは国立国語研究所教授の石黒圭さん。LINEでの句点に違和感を持つのは、「若い人たちの間では言文一致が進み、話し言葉の感覚を打ち言葉に持ち込んでいるからだ」と指摘する。
「対面での会話のキャッチボール、つまり話し言葉においては、『できるだけお互いの話を切らずに続けていく』ことを私たちは年代を問わず、大事にしています。例えば、バイト先の店長に『ちょっと週3日のシフトはきついんで、2日にしていただきたいんですけども』など、接続助詞を使い余韻を残しつつ、できるだけ話の終わりを『終わりらしくなくする方法』を使い、コミュニケーションを円滑にしている面がある。これを『週3日は私にとってきついんです。2日にしてください』と終止形で切ってしまうと、高圧的で怒っているかのように響くので、避けようとします」

話し言葉と書き言葉
話し言葉のルールを、デジタルネイティブ世代はそのままLINEの打ち言葉にも持ち込んでいる。いかに話を終わりにしないで余韻を相手に預け、会話をつなげていくかに腐心していると、石黒さんは言う。
「一方で、年配世代はLINEでも『書き言葉のルール』のまま。つまり句点をつけて終止形で終わりたい大人世代と、終わらせない形で相手に伝えたい若い世代とのギャップが、問題の 背景にあると思います」
若者のSNS利用に詳しいITジャーナリストの高橋暁子さんも、世代間でLINEの使い方にはギャップがあると話す。
「ガラケー世代で、相手がいつ読むかわからないメールの文化を引きずっている大人は、挨拶から入り要件を伝えて結びの言葉、と文章が長い。当然、そこには句読点が多く入る。でもりアルタイムでのやりとりが当たり前の若い世代は、句読点を一切使いません。だからたまに目にするLINEでの句読点に、「かしこまっている」という印象や威圧感、怒りの感情を読み取ってしまうのだと思います」
一方で若い世代は、自分からあえて「LINEで句点を使う」こともあるという。前出の22歳の大学生の場合はこうだ。
「『笑』がついていたら怒ってないということ。『爆笑』がついていたら冗談。絵文字も『笑』もついてなかったら少し怒ってる。『。』がついていたらその怒りの強調、という感じです」
たとえば「いいと思うよ(笑)」なら賛成だが、「いいと思うよ。」だと気に入らないけど好きにすれば?というニュアンスになり、それを受け取る側も共有しているという。高橋さんはこうみる。
「実際に句点がついたメッセージを受け取ったときに「あ、怒ってる」と自分が感じた感覚を再現する意味で、じゃあ自分も怒りを伝えるときには句点をつける、そうして広がっていっているのではないかと思います」

句点複数で共感性表す
SNSのやりとりで、受け取る側に思わぬ感情を伝える句点。孤独を抱えていたり、虐待やDVで自殺リスクもある若い世代からのオンライン匿名チャット相談を受けるNPO法人「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星さんも、句点の使い方には細心の注意を払っていると言う。
「若い世代が句点から怒りの感情を読み取るのは、旬点で会話が切られることで『コミュニケーションを続けたくない』という意思表示に受け取るからかなと思います。一方で、私たちはチャット相談の中であえて句点を使うこともあります」
相談とは基本的には傾聴の姿勢が大切で質問がメインではないが、必要なときもある。たと えば、先方の状態について質問したいとき、「あなたのいばしょ」ではイエスかノーかを迫ることになる「?」は使わないことにしているという。
「かといって句点で止める問いかけをしてしまうと会話を切ることになるので避けたい。そんな場合はたとえば「そうだったんですね。。。。」 と打ちます。句点を複数にすると逆に、共感性が生まれてくるんです」

気遣いのすれ違いが
質問するということは、相手の気持ちに踏み込んでいくことであり、「侵襲性」が生まれやすい。それをなるべく軽減するためにも、若い世代の間で広く使われている句点の複数利用を心がけていると大空さんは言う。「チャット相談には声色などの非言語情報がなく、感情の変化や揺らぎはチャットの文字に目を凝らし、読み取るしかない。改行なしの長文で思いの丈を書いてくる人は「かなりいろんな思いを抱えておられるな」とか、句点が多い人は『相手のことも少し気遣いながら話をしておられるんだろうな』など、そこからパーソナリティーの側面を判断することもあります」
句点の使い方ひとつで、異なる世代との間に共感を生んだり、思わぬすれ違いが生まれたり。気をつけるべきことは何か。高橋さんは、「無理解なままお互いを否定しないこと」を挙げる。「若い世代が句読点を廃し、短い言葉でやりとりする背景には、タイパの意識が強い世代であることも大きい。無駄なやりとりはせず相手を待たせない、ということも彼らにとっては正義だし、気遣いでもあるわけです」
一方で大人世代にとっては相手が読みやすいように句読点もつけながら、長文になってもき ちんと伝える。それが相手への気遣いだ。つまりは、双方の気遣いのやり方がすれ違っているだけだと高橋さんは言う。
「少し歩み寄ってみるのもありかなと思います。大人が若い世代にLINEするときは句読点を減らしてみる。逆に若い世代は、失礼と思うらしいし冒頭に少し挨拶でもつけておくか、と その程度でもいい。大事なのはふだんのコミュニケーションです。LINEで怒ってるかなと感じても、対面で『すみません、何か怒らせましたか』『そんなことないよ』みたいなやりとりができる関係を日頃から築いておけば、それほど深刻な問題にはならないと思います」


                       編集部 小長光哲郎
 


 

ちょっとした驚きでした。
そういえば、私の場合、家族のラインをみると、律儀に必ず「。」(句点)をつけているのは私だけで、妻や子どもたちはだれも「。」(句点)をつけていません。
家族内だから、私のことを「高圧的」ととらえることはないのかもしれませんが、これが仕事上の上司と部下の関係だったら、安易に「。」(句点)をつけるかどうか慎重にすべきなのかもしれませんね。


でもなあ、「。」(句点)を省いたり、絵文字を多用したりするのも部下に媚びているようで気持ち悪いな。


仕事上の業務連絡ではSMSを使うことが多いですが、これならラインほどくだけていない、フォーマルさが残っているので、「。」(句点)つきの文章でOKだと考えてます。



さて、松本人志の性加害疑惑報道に関していろいろな情報が飛び交いましたが、流出したとされるLINEのやりとりについて、この論評が秀逸でした。
 


週刊文春 1月25日号
言葉尻とらえ隊580 能町みね子
「松本さんも本当に本当に素敵で」
__A子さん(スピードワゴン・小沢へのLINE)


松本人志の性加害疑惑報道に関して、流出したとされるLINEのやりとり。私はこれだけでいくらでも語りたい。
15年11月8日22時23~24分にかけ、スピードワゴン・小沢から被害者とされるA子さんに「いまどんな感じですかー?」「大丈夫?」「無理すんなよ」と3連続LINE。そして翌日0時26分、A子さんから小沢へ「小沢さん、今日は幻みたいに稀少な会をありがとうございました。会えて嬉しかったです/松本さんも本当に本当に素敵で、(中略)小沢さんから頂けたご縁に感謝します。/もう皆それぞれ帰宅しました/ありがとうございました」(以上、絵文字は省略)――このやりとりが流出し、松本人志は「とうとう出たね」と勝利宣言をし、特に A子さんの返信をもって「女性も喜んでる=合意」論が後押しされたわけですが。
もちろん現時点で性加害の有無が分からないことは前提として、私はこの文面から、少なくとも女性は松本人志と会っても嬉しく感じていなかった、そして、小沢一敬に不快感を持ったことを読み取ることができると思います。
もし、楽しい飲み会が行われ、本当に小沢に感謝し、松本に会えたという僥倖に喜んでいたらどういうLINEを送るか。――まず、何かを心配していた小沢の3連続LINEに「お返事できなくてごめんなさい!」じゃない? LINEは、親密な相手となら短い時間でポンポンやりとりすることに魅力があるもので、返信を求めるLINEを放置して3通も溜めるなんて「罪」。一度これを謝るのが普通じゃないだろうか。LINEを放置したことを謝っていない時点で、放置せざるをえなかった事情を互いに理解していたとしか思えない。また、長文で感謝の言葉を 一気に書き「ありがとうございました」で締める態度には、追加質問がなるべく出ないよう、最低限のお礼を全項目について言い切って、極力やりとりをさっさと終わらせたいという気持ちが見えます。そして、感謝の内容が薄い。確かに、「幻みたいに稀少な会」「本当に本当に素敵」など、大仰な言葉を使ってはいるけれど……、具体的な表現が何もないのだ。
会えた嬉しさが大きければ、記述は具体的にならないだろうか。実際の会話内容を記して「○○って言ってくださって」とか、容姿を評して「間近で拝見したら肌や手がすごく綺麗で」とか。
「本当に本当に素敵」……包装紙が分厚いだけでこんなに中身のない褒め言葉、なかなかない。とりわけ、松本ほどの大物なら「(私みたいな者にも)気さくに接してくれて」という 定番の褒め言葉があるはずなのだが、「気さく」すらないというのは印象が相当悪かったことが窺えてしまう。「嬉しかった」があっても「楽しかった」がない、というのも 象徴的。芸人と会って「面白かった」どころか「楽しかった」がないとは……。
こんな空虚な感謝の言葉で「とうとう出たね」と言えてしまう彼、やはりおだてられつづけてそのへんの機微が見えなくなっていたとしか思えず、切なさすら感じます。


 


りっぱなおじさんである松本人志は若い世代のラインでのコミュニケーション作法についていけなかったようです。
だから、A子さんの返信をもって「女性も喜んでる=合意」論に飛びついてしまったわけでしょう。
「とうとう出たね」と勝利宣言をした松本人志はまったくの勘違い野郎だった、というわけです。


私もおじさんの一員(じじいの一員)として、このような勘違いをしていないとも限らないので、これをもって他山の石としたいと思います。



獅子風蓮