反ワクチン・陰謀論の毒舌ブロガーである海さんは、地球平面説を経て、今では「ウイルスは無い」という記事を連日のように書いています。
でも、医学史を紐解けば、ウイルスの発見の事実を学ぶことはできます。
そういう基本的な学習は、本来、海さんたちがまず行うべきだと思うのですが、それはなさらない。
余計なお節介かもしれませんが、私がお手伝いしたいと思います。


ジョン・S・トレゴニング
『ウイルスVSヒト-人類は見えない敵とどのように闘ってきたのか?』(文響社、2022.10)

 

 

雑誌『Nature』の人気コラムニストが、人と病原体のエキサイティングな闘争の歴史を描いています。
最新の知見も取り入れられていて、勉強になる本です。

(目次)
第1章 微生物学の歴史
第2章 微生物を理解するために
第3章 私たちが病気にならない理由
第4章 マイクロバイオーム(微生物叢)
第5章 免疫学
第6章 疫学
第7章 診断法
第8章 予防法
第9章 ワクチン
第10章 抗生物質
第11章 抗ウイルス薬
第12章 抗真菌薬
第13章 抗寄生虫薬
第14章 毒となるもの
第15章 未来

一部、引用します。


第14章 毒となるもの

□恐怖というファクター
□大いなる無知
□混乱
□平らな地球
□デマの森から抜け出すために
■科学と政治は結びついている


科学と政治は結びついている

集団免疫戦略の例に見られるように、科学と政治は結びついている。このつながりが消えてなくなることは決してない。時には、たとえば研究予算の配分が行われる際などには、かなり微妙になることはあるが。私としては、気の向くままに面白そうなものを調べていると、「科学研究はいいことだからね」と誰かが費用を肩代わりしてくれる――それが理想の世界だ。しかし残念ながらそうはいかない。研究資金の多くは政府を通じ税金で賄われている。したがって研究の必要性については政治家と社会の理解を得る必要があり、研究者は、その研究が何らかの価値をもたらすことができるという根拠を示さなければならない。教育訓練を通じての間接的なものから、知識の生成など専門性の高いもの、あるいは薬の開発など応用可能なものまで、研究がもたらす価値にはさまざまな形がある。政権の方針と一致しない場合、政治は科学に対しより直接的に影響を及ぼすこともある。たとえば前述したレーガン政権時のHIV研究がそうであった。他にも胎児由来の幹細胞の作成など、政治が研究の障壁となる例は多い。
科学と政治のつながりは、新しい技術が社会に受け入れられていくうえでもきわめて重要となる。サルバルサンなどの薬や、PrEPといった性感染症対策しかり、ワクチン(これについては言い尽くしたが)しかり、遺伝子組換え作物しかり、さらには省エネ型の電球でさえそうだ。
そうなると科学は時に政争の具と化し、事実ではなく賛否が問われるようになることがある。気候変動に関する論争などはその例だ。COVIDのパンデミックは世論を二分したが、面白いことに支持政党によって意見が分かれたわけではない(少なくともイギリスでは)。否定論者か、そうでないかだ。

COVIDによって間違いなく世間の関心は科学に集まったが、これはおおむねよかったと思う。科学的な問題に関する政策は、十分な説明と、科学が主導する議論に基づいて決定されるべきだからだ。政策のメリットを社会に対して説明し、納得を得る場合、政治と科学が連携して果たす役割は特に大きい。政策が不便や混乱を伴い、人との距離をとることを要求するならなおさらだ。さらに納税者が払った税金をいかに使うかについても重要な役割がある。ウイルスによる壊滅的なパンデミックの最中でもなければ、公衆衛生やワクチン製造に関する予算はいとも簡単に削られてしまう。まずは目につきにくいところから、というわけだ。

パンデミック収束後に懸念されるのは、財政回復のために、これらの項目が予算削減リストの上位に返り咲いてしまうことである。


科学者の側が公の場で話すことに慣れていない場合、そして社会の側に科学リテラシーがない場合には、人々の納得を得るのは難しい。またテレビの「科学者」が述べるのは、たいていその人個人の見解だということは覚えておくといい。一つにまとまった科学者組合のような組織があるわけではなく、科学者によって意見は異なるのだ。教授会に出てみればわかる。学部の長は、猫をうまく手なずけるかのようにふるまっているから。
結局、ありがたくないことを説明する者というのは、麦わらのような髪の愛すべき道化者より、はるかに非難されやすいものだ(混乱を助長したのは、この道化者の優柔不断と無能だったにもかかわらず)。

それでも情報の発信については改善されてきたと思う。遺伝子組換え作物に関する議論で得た教訓から、公の場で発信する情報の調整は組織によって行われ、科学者に対しても、よりよいコミュニケーショントレーニングが提供されるようになった(これに関してはロンドンのサイエンス・メディア・センターの仕事が素晴らしい)。2020年ほど、科学者の一言一句に厳しい目が注がれた年はなかったが、メッセージの多くははっきりシンプルに伝えることができていたようだ。


もちろん合理的で科学的根拠のある理論といえども、万人を納得させられるわけではない。本書を読んだあなたは、クリスマスの七面鳥を楽しんでいる人種差別主義者のアランおじさんを説得してみたくなるかもしれない。「ワクチンの研究者はマイクロチップを埋め込んでなんかいませんよ」と。その時のために簡単なアドバイスをしておこう。合理的な理論があれば十分だと思わないことだ。たとえば、ワクチンの注射器の針は直径0.5ミリメートルで、それを通るほど小さいマイクロチップはなかなか存在しないが、こうした単純な事実でおじさんの思い込みを解くことはできない。あるいは「トンデモ理論を検索することでプライバシーが犠牲になっている」と言ってやっても、おじさんをやり込めることはできない。ただ、あなたとおじさんの関係が悪くなるだけである。そんな時は、当時ニュージーランドの副首相であったウィンストン・ピータースの手を使うといい。彼はCOVID否定論者に詰め寄られても、こう言って相手にしなかったのだ。「すまんが、場違いだね」。
一番簡単な方法は、かかわらないことだ。「ネタにマジレス」してはいけないのである。真面目に取り合えば偽の情報にも関心が集まってしまうし、そうすれば、慎重な議論もガセネタも同じくらい人々の記憶に残ってしまうからだ。悪質なプレイヤーはシャットアウトし、嘘に触れることなく真実だけを語ればいい。もちろんシャットアウトですべてが解決されるわけではない。現実の生活には、誰かを説得しなくてはならないような場面もあるだろう。さあ、再びアランおじさんの出番だ。おじさんはすでに3杯目のシェリーを手に、チョコの詰め合わせボックスの中身を(おいしいのを独り占めして)半分まで食べ進めながら、昼下がりの陰謀論、第3弾を繰り出している。おじさんを説得したいなら、彼の世界観か、彼が一目置く有名人に絡めて話さなければならない。だから、マーガレット・サッチャーが化学を専攻していたことを話してみるといい。あるいは物語を利用してストーリー仕立てにしたり、「コレラワクチンを接種しなかったら、米のとぎ汁様便が80リットル出ることになるよ」と教えたりしてみるといい。そして最後は、「じゃあ、おじさんの言ってることの証拠を見せてよ」と責任を押しつけるか、少なくとも、どんな証拠を挙げればおじさんの思い込みを解くことができそうかを見極めておく。あれこれ試してダメなら、本書を1冊買っておじさんに渡してほしい。そうすれば、少なくとも私が得るものはあるから。

一日が終わる頃、私は科学者として科学を信じる気持ちが強くなる。感染症医やワクチンの研究者と仕事をしていると、そこには陰謀などないことがはっきりとわかる。非難の言葉は、私も浴びせられてきた。私や同僚たち自身が悪であるとか、あるいは大きな権力の手先であるとか。まったく真実ではない。病気を治し、将来の感染を防ぎたい。ただそれだけだ。
(以下省略)




(このシリーズは終了です)

 


解説
一日が終わる頃、私は科学者として科学を信じる気持ちが強くなる。感染症医やワクチンの研究者と仕事をしていると、そこには陰謀などないことがはっきりとわかる。非難の言葉は、私も浴びせられてきた。私や同僚たち自身が悪であるとか、あるいは大きな権力の手先であるとか。まったく真実ではない。病気を治し、将来の感染を防ぎたい。ただそれだけだ。

ここは、心に沁みましたね。

私も、医師として新型コロナの流行を抑えるのに、お役に立てばという思いから、ワクチン接種に携わってきましたが、その行為を、海さんからは「人殺しと同じ」と批判されてきました。

けっして、権力の手先ではなく、病気を治し、将来の感染を防ぎたいという思いだけなのに。

 


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獅子風蓮