週刊文春(11月30日号)で池田氏の死去に伴う特集記事がありました。
別のところ(獅子風蓮のつぶやきブログ)で引用しました。


ネットだとこれですね。
引用します。
 


文春オンライン

「ナンバー2を嫌って、人を育てなかった」池田大作氏が創価学会で“究極の権力構造”を作り上げるまで その4)

(つづきです)

 やがて池田に、幹部の誰もが逆らえなくなる。そのことで池田は自分の力を過信したのだろう、宗門からの離脱を本格的に模索し始めた。ところが、過信がいきなり裏目に出る。昭和44年の「言論出版妨害事件」である。私にはこの事件の反社会性よりも、池田のあわてぶりがあまりにも幼稚すぎることの方が気になった。以下は事件の簡単なあらましである。

 評論家の藤原弘達が学会の批判本を出すと聞き、池田が幹部に命じて出版中止の交渉をする。ところが逆に藤原にこの談判をテープに録音され、「創価学会による言論弾圧の重要証拠」として公表される。あわてた池田は、竹入義勝公明党委員長に命じて、自民党幹事長の田中角栄にもみ消しを依頼。田中は料亭で交渉するが、池田が隣の部屋で聞き耳を立て、それを仲居に目撃された。言論妨害が『赤旗』で批判されるや騒然となり、池田は竹入に「事実無根で押し通せ」と命じるが、これが逆に火に油を注ぎ、池田の証人喚問が検討される。あわてた池田は、公明党議員を総動員して、各党を懐柔させた――。というものだが、池田の小心さがよく伝わってくる。

 池田の狼狽(ろうばい)は相当なものだったらしく、前出の現役幹部がはじめて明かす。

「あのとき池田さんは、『会長への批判は断じて許すな! 徹底的に叩き潰せ!!』と命じたんですが、あそこまで反発が大きいとは思わなかったんです。昭和44年の暮れでしたが、当時の最高幹部4、50名が渋谷分室に呼ばれました。その席で、池田さんが『もう創価学会を解散したい』とこぼしたんです。相当落ち込んでいました」

 昭和51年の「月刊ペン事件」も同じだ。池田の女性スキャンダルを書いた『月刊ペン』の編集長を名誉毀損で告訴、この編集長を逮捕までさせたにもかかわらず、裏で密かに示談金2000万円を払っていたのだ。天才的オルガナイザーと幼稚さの取り合わせ、実に不可解としか言いようがない。

「言論出版妨害事件」によって、池田は、公明党と創価学会の分離を約束させられ、世間に謝罪した。

 彼は〈私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者〉(『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』)と語っているが、先の現役幹部によれば、池田は本気で精神界と俗世を支配する“国父”になりたかったのだという。しかし、この事件によって、夢の半分は潰(つい)えてしまった。


「池田は、自分より上に立つ者がいると我慢ならないんです」

 この直後から、池田は宗門からの独立に、より力を注ぎ始める。

「池田本仏論」がさかんにふりまかれるのもこの時分である。「大聖人御遺命の戒壇を建立した池田会長こそ、現代に出現した御本仏である」と語られ、池田こそ仏であると思わせたのである。池田自身もこれを煽(あお)った。こうした動きが本山の耳に達すると、本山は学会に本尊を下付しなくなった。そこで池田は、事態を解決するために「本部の地下で御本尊を模刻」(元学会幹部)する。俗世でいえばニセ札をつくったようなものだ。これがバレて「30万人とも50万人ともいわれる脱会者が出た」(宗門関係者)ため、池田はあわてたという。結局、池田は日達上人に謝罪することで矛(ほこ)を収め、翌昭和54年に会長を辞任して新設の名誉会長に引き下がる。

 それにしても、なぜ宗門から独立しようとしたのか。当初私は、学会が会員から莫大な金を集めても、信徒集団でいる限り宗門に渡さねばならない。それを嫌ってのことではないかと考えた。平成元年に1億7000万円入った金庫をゴミと一緒に捨てた事件があったが、池田の周囲には金にまつわる逸話が掃いて捨てるほどある。

 池田は、金の力を「御本尊」のように信仰していたとしか思えない。だからこそ、学会の「財務」は宗門に渡せない、と考えたのだと思ったのだが、あの355億円も、半分は学会にキックバックされ、「昭和50年頃から宗門には3億円ほどしか渡していないから、お金だけが理由ではない」と古参幹部はいう。

「日蓮正宗の信徒でいるかぎり、池田は法主の門弟に過ぎません。池田は、自分より上に立つ者がいると我慢ならないんです」

 会長辞任の翌年、ある葬儀で池田と会った宗門関係者は驚いたという。

「『会長を辞めたときは、隠居するつもりで藤沢の鵠沼(くげぬま)に土地を買ったんだ』と言っていましたから、実際に引退する気もあったようです。しかし、『学会は私がいないと駄目なんだ。見ていられなくてしゃしゃり出ることになった』と。会長辞任後は院政を敷かないと日達上人と約束したのですが、すっかり忘れていました」

 池田にとって仇敵とも言えた日達上人が遷化(せんげ)すると、その直後、池田は会長の任期を5年に制限し、名誉会長にすべての実権が集まるように規約を改定した。そして再び、宗門からの独立を画策し始める。

(つづく)


解説

「日蓮正宗の信徒でいるかぎり、池田は法主の門弟に過ぎません。池田は、自分より上に立つ者がいると我慢ならないんです」

これが池田氏が宗門からの離脱を考えた最大の理由だというのですが、本当のところはどうなんでしょうか。

今後の検証課題とします。




獅子風蓮