そういうわけで、興味を持った私は、こんな本を読んでみました。

伊藤喜之『悪党-潜入300日ドバイ・ガーシー一味』(講談社+α新書、2023.03)

 

 

□プロローグ
□すべてを失い、ドバイにやってきた男
□ガーシーとの出会い
□秘密のドバイ配信
□急展開の示談成立
□幻のインタビュー「自分は悪党」
□参院選出馬
■FC2創業者
■朝日新聞の事なかれ主義
■元ネオヒルズ族
□ガーシー議員の誕生
□黒幕A
□元大阪府警の動画制作者
□元バンドマンの議員秘書
□ワンピースと水滸伝「悪党」と「正義」
□嵐のバースデー
□モーニングルーティン
□年商30億の男
□王族をつなぐ元赤軍派
□痛恨のドバイ総領事館事件
□近親者の証言
□エピローグ
 


■FC2創業者
NHK党党首の立花孝志が東谷を参院選に出馬させるために初めてドバイを訪れ、YouTubeで東谷とのコラボ配信をするという日のことだった。東谷のアパートメントに向かうと、立花や配信を手伝うスタッフの他に、もう一人、見慣れぬ男性がいた。
体にピタリと密着するようなグレーのTシャツに迷彩柄のスラックス。色白の顔に茶色のサングラスをかけ、サラリとした黒髪をなびかせる貴公子然とした佇まいはアーティストのGACKTに似ている。ソファに腰掛けて、東谷らが生配信する様子を見学していた。

「伊藤さん、紹介しますよ。高橋さんです」

配信前に東谷から引き合わされた。
「さてどこの高橋さん?」と思いながら、私が手早く名刺を差し出すと、男性も「ああ、あるかなあ」と財布の中を探して一枚の名刺を取り出した。それを一瞥し、私は一瞬固まってしまうほど驚いた。
アルミ製の特注品だと一目でわかるメタリックな名刺には、見覚えがある動画投稿サービス「FC2」の赤いユニコーンのロゴととともにこう記されていた。
〈代表取締役社長 高橋理洋〉(注:正確にはこの時すでに高橋はFC2の役職を退任していたため、昔の名刺を便宜的に渡していた模様)
(中略)
この日も、高橋は一時滞在していたバンコクから東谷に会うためにドバイを訪れていた。東谷に麻生泰を繋いだハワイ在住のコーディネーター山口晃平と高橋は親しく、山口もドバイ行きを強く勧めたようだ。高橋は東谷と再会を果たした後もロスやハワイに戻ることなく、レストラン崇寿が入るシーザーズパレスに長逗留を続け、東谷と行動を共にすることになる。
NHK党の立花もドバイで高橋に出会い、その人物や来歴に強い興味を覚えたようだ。 東谷に続いて高橋にも参院選への出馬を打診し、東谷も強くプッシュしたことで、高橋も腹を固める。東谷もBTS詐欺疑惑などで警察からマークされていたと思われるが、実際に日本警察から国際手配されていた人物が国政選挙に出馬を表明するのは極めて異例なことだろう。

FC2の事件前から、経営者としてもほとんどメディアにも登場することなく、高橋は謎に包まれた人物だった。ここにきて突如として表舞台に登場する気になったのはなぜなのか。
シーザーズパレスに滞在していた高橋にインタビューを申し込むと、二つ返事で引き受けてくれた。ただし、本人は「口下手なので、きちんと答えられないかもしれない」ということで、メールで質問を送り、それに回答してもらった上で、直接会って補足的に質問するかたちをとった。

――なぜここにきて参院選出馬という大胆な行動をとったのか?

「2014年に警察がFC2の捜査に入ってから抜け殻のようになり、長らくハワイなどで 何となくボーっと生きてきたのですが、昨年、父親が急逝し、当たり前ですが、日本にいる母親もいつまでも生きられないと焦り始めました。それでドバイにいるガーシーさんのところに遊びにきたら、たまたまNHK党の立花さんがいて出馬を勧められたんです。ここで動くタイミングがきたのだと思いました」

――東谷氏との付き合いは。

「13年ぐらい前に友達から『凄い人がいる』と大阪で紹介されたのがきっかけです。当時からパワフルで面白い人でした。コミュ力が半端なくてどんな人ともすぐに友達になれますし、私とは正反対で、私にないものをすべて持っているので非常に魅力的に思います。何をしても優秀でそつなくこなすのに、ギャンブル依存という欠点を持っているのも人間味がある。まあ、本人はもう二度とやらないと言っていますし、絶対やってほしくないですが。いろいろ批判もされていますが、私にはいつも優しいお兄ちゃん的存在です」

(以下省略)


■朝日新聞の事なかれ主義
UAE北部の都市ラスアルハイマのホテルで、東谷へのインタビューを終えた私は朝日新聞紙上やデジタル版でのインタビュー記事に仕上げるべく原稿を書き始めた。インタビュー直後、東京の国際報道部にいる担当デスクに東谷を取材していることを初めて告げると、ガーシーCHのYouTube配信を見たことがあったようで最初は「おお、ガーシーですか」と興味を示してきた。芸能担当の編集委員らと連携するのもいいかもしれないといった話題にもなり、私は記事化に手応えを感じた。
一方で、注意するべきだと指摘されたのは、東谷の参院選出馬だった。選挙に出馬してしまえば、原則として候補者を公平に取り上げる必要が生じる。そのため、出馬表明の前に記事にした方がいいというアドバイスを担当デスクから受けた。そのため、急いでインタビューの核となる一問一答をまず仕上げ、初稿を送った。
ところが、掲載に前向きだと思っていたデスクから届いたのは、「東谷氏の一方的な言い分ばかりで載せられない」という返答だった。
納得ができなかった。私としてはBTS詐欺の疑惑部分やなぜ日本で出頭しなかったのかという点など、犯罪性が疑われる部分については東谷本人が嫌がる質問を重ねていた。その上で東谷の元には暴露のタレコミも多数寄せられ「一人週刊誌」との論評も出る状況について本人の認識を尋ねて一種のメディア論にも展開し、ジャーナリズムのバランスは維持していると自負していた。あくまでも「物議を醸している渦中の人物」として東谷を是々非々で取り上げる、その視点さえ守っていれば掲載は問題ないはずだと思ったのだ。

一問一答形式で当初原稿に仕上げたが、芸能界側や警察の捜査状況などの記載が必要であるならば、これから文化部や社会部と連携して取材すればそれでいいはずだった。また、百歩譲って新聞本体では難しいのであれば、AERA dot. という朝日新聞出版の週刊誌系のオンラインメディアで掲載するのはどうか。そんな提案もしてみた。いったん保留とされたが、その後、返ってきたのはやはり「掲載不可」という答えだった。私は食い下がったが、結局その方針は最後まで覆らなかった。
誤解してほしくはないが、朝日新聞が東谷を取り上げたら、芸能界から圧力を受けかねないといった「忖度」が上司たちの間で働いたわけではないと思う。結局、納得できる理由は最後まで聞けなかったが、シンプルに「ガーシーを取り上げたら面倒そうだ」という程度のことだったのだろう、と私は推測している。紙の部数も年々激減している新聞メディアでは事なかれ主義がかつてなく蔓延している。以前はこうした案件こそ面白がり、ギリギリのところで調整しながら掲載してくれる上司がいたが、最近では少なくなったと感じていた。それだけ新聞はリスクを敬遠し、冒険しなくなった。そして、そうした環境で育った記者がデ スクなどの中間管理職になり、経験不足から原稿をうまく捌けないという悪循環が起きていた。
翌日、私は掲載不可の結論に改めて抗議するとともに会社に退職願を出した。
2008年に新卒で入社して以来、15年間、新聞記者として働いてきた。朝日に対して憂いはあっても恨みつらみはない。多くの上司や同僚には今も敬意を持っているし、愛着ある会社を離れるのは寂しさもある。
また、東谷への取材が退職のきっかけにはなったが、それだけが理由ではない。元々から40代前半までに作家として独立したいと考えてはいた。リスクをとる取材を続けたいなら、やはりフリーランスとなり、できる限り自ら責任を取るのがベターだ。その時期がきたのだと考えた。朝日では経営悪化から取材網の見直しの一環でドバイ支局は8月末で閉鎖されることに決まっていた。そのため、私は、ちょうど数日前に9月1日付でのドバイからエジプト・カイロへの異動の本人内示を言い渡されたばかりだったが、それは辞退することになった。

「なんでですか、新聞記者を辞める必要はないでしょ」

記事が掲載見送りになったこと、そして退職する意向を、東谷に電話で報告すると驚かれ、そう言われた。
(中略)
退職を東谷に伝えた夜のことだった。
東谷とドバイの日本料理店で食事をすることになった。
その場にはFC2創業者の高橋らも同席していたが、この場にもう一人、興味深い男がいた。かつてはネオヒルズ族として名を上げたが、最近は暗号資産ビジネスを手がけているという人物。久積篤史、それが彼の名だった。



■元ネオヒルズ族
ドバイにはエジプトのピラミッド型の建築で有名な五つ星ホテルがある。「ラッフルズ・ドバイ」。ここの最上階1階に日本料理店「TOMO(友)」は入っている。
日本人シェフらによる本格的な寿司などのメニューのほか、豚肉食を禁じるイスラム教国にあって豚肉を調理・提供できる特別なライセンスも取得し、豚カツや豚の角煮なども食べられるとあって、日本人駐在員らが好んで利用する人気店だ。黒を基調にしたシックな雰囲気の店内。レストラン中央付近の席に東谷、高橋、久積、私の4人で座り、各々が食べたいものを注文して食事が来るのを雑談しながら待っていた時だ。
東谷が突然、声を上げた。

(中略)

久積に対しては、この当時、手がけた暗号資産ビジネスをめぐって日本警察が動いているのではないか、と囁かれていた。
特定の界隈では名の知られた人物だ。久積本人の公式アメーバブログには経歴として次のような記載がある。

〈久積篤史 (Atsushi Hisatsumi 1984年5月30日―)は、日本の起業家、与沢翼らとともにネオヒルズ族を自称していた。2013年にインフルエンサーマーケティングを逸早く提唱し、一般社団法人日本インフルエンサー協会を設立。世界一のインフルエンサーアプリをつくるために米国法人エクストラバガンザインターナショナルを創業、米クリプトナイトベンチャーズの創設メンバー。
血液型はAB型、出生は徳島県。青色発光LEDを製品化した日亜化学工業創業者小川信雄(旧姓:久積信雄)の家系に生まれる〉

一見きらびやかに見える経歴だが、過去の本人が出演したYouTube動画などでは決してそうではない過去も口にしていた。

(中略)

久積がドバイにやってきたのは2021年12月初旬。東谷がドバイにやってくる2週間前のことだった。呼び寄せたのは東谷の場合と同じ友人Aだ。久積が暗号資産プロジェクトのCHIPで失敗し、「さすがに今回は警察が動くんじゃないか」と思った矢先、相談したAから「それならドバイに来たらいいじゃないですか。やり直しましょう」と声をかけられたのだという。東谷と久積は同じ時期に追い詰められてドバイ入りし、Aの世話になったという点で、「同期」と呼び合う関係になったという。
久積と私はその後、2人で食事をしたことがある。ドバイのイタリアンレストランでランチをとりながら彼の生い立ちなどを一から聞いた。

(中略)
観察していて一つ気づくのは、東谷はFC2高橋に対してもそうだが、何らかの犯罪に手を染めた者やその嫌疑がかけられているもの、あるいはヤクザや半グレなど、社会のグレーな領域に身を置く人物であっても、それだけの事実ではただちに拒否感を示したりはしないということだった。
「たとえば、小さいころからの自分の親友がヤクザになった。それで友達をやめるのか、それはおかしいやろっていうことですよ。友達は友達だから」
東谷は口癖のようにそう語っていた。東谷が芸能界で最も敬愛する島田紳助は東谷の父親が自殺した時、葬儀に駆けつけてくれた。しかし、島田は暴力団との交際が原因となり、2011年に芸能界の完全引退を余儀なくされた。日本では、暴力団対策法や暴力団排除条例などでヤクザへの締め付けは強まり、一般人であれ芸能人であれ、ヤクザと関わることはアウトな世の中になった。
東谷は「引退せないかんぐらいのことなんか」と、島田に引退を迫ったコンプライアンス(法令遵守)ばかりを求める社会を「窮屈」ととらえ、いまも疑念を抱いている。
久積に対してもそうだった。むしろ暗号資産ビジネスで日本警察や関東財務局などにマークされている久積とBTS詐欺疑惑などで身を滅ぼした自らを重ね合わせ、共感に近い感覚を覚えている。そう解釈すると、ストンと腹に落ちる気がした。

(つづく)

 

 

 


解説

観察していて一つ気づくのは、東谷はFC2高橋に対してもそうだが、何らかの犯罪に手を染めた者やその嫌疑がかけられているもの、あるいはヤクザや半グレなど、社会のグレーな領域に身を置く人物であっても、それだけの事実ではただちに拒否感を示したりはしないということだった。
「たとえば、小さいころからの自分の親友がヤクザになった。それで友達をやめるのか、それはおかしいやろっていうことですよ。友達は友達だから」
東谷は口癖のようにそう語っていた。

 

ここは、ある意味、積極的な評価もできる箇所です。

創価学会も、かつてそういう美風がありました。

一度犯罪に手を染めた人間であっても、不良少年であっても、それだけで相手を拒否することはない。

むしろ、相手の「人間革命」を一緒に祈っていこうとする温かい組織があった。

今はどうなのか、知りませんが。

問題は、そうやってガーシーが脛に傷を持つ人間を受け入れたのち、つるんで不法行為に加担することもありうるということです。

お互いに、無反省に反社会的行為を認め合っていては、友達同士が人格的向上をきたすことにはならないでしょう。

ガーシーが守るべき規範が島田紳助的な義理人情の掟だけというのが、じつに薄っぺらい。

 



獅子風蓮