「生死一大事血脈抄」に関して、ネットで宗門側の主張を調べてみました。

一部引用します。

 

 


大白法・平成6年2月1日刊(第402号より転載)

御書解説(11)―背景と大意
生死一大事血脈抄(御書 513頁)

一、御述作の背景
 本抄は最蓮房に与えられた御書です。御真蹟は伝わっていませんが、写本には文永九年二月十一日と記されています。よって、大聖人様が五十一歳の御時、佐渡の塚原において認したためられた御消息と拝されます。

対 告 衆
 最蓮房についての詳細は不明ですが、大聖人様より以前に、すでに流人として佐渡に流されていた天台宗の僧侶でした。
 塚原問答における、大聖人様の堂々たる尊容に接し、理路整然とした御法門を聴聞するうちに、その教えこそが末法の一切衆生救済の正法であると信ずるに至り、文永九年二月初旬の頃、帰伏したものと考えられています。
(以下省略)


拝読のポイント
 本抄は、私たちの信心において大変重要な血脈について御指南された御書ですから、甚深の法義が数多く示されています。ところがまた、古来より本抄の御文が曲解されたり、都合よく用いられてきているのも事実です。現在の創価学会もその一つといえましょう。
 つまり、「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」との御文のみが強調され、その大前提となる付嘱伝持の血脈、すなわち、『一期弘法付嘱書』に「血脈次第日蓮日興」と仰せられた「法体の血脈」が蔑(ないがし)ろにされているのです。しかし、本抄において、 
「釈迦多宝の二仏、宝塔の中にして上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字過去遠々劫(おんのんごう)より已来(このかた)寸時も離れざる血脈なり」 
と仰せのように、法体が付嘱によって伝持されてきたことは明らかです。大聖人様御入滅後は、第二祖日興上人已来、御当代日顕上人に至るまで厳然と相承されているのです。この唯授一人の血脈こそ、戒壇の大御本尊と共に日蓮正宗の根本命脈なのです。この根本の法体を深く信ずることが信心の血脈なのです。
 第六十五世日淳上人は、血脈相承の大事なる所以を  
「仏法に於て相承の義が重要視されるのは、仏法が惑乱されることを恐れるからであつて、即ち魔族が仏法を破るからである」
と仰せになっています。魔が多く競い邪義が横行する中で、大聖人様の仏法の正義が護り伝えられてきたのも、血脈相承ましませばこそと申せましょう。
 あろうことか現在の創価学会は、この日蓮大聖人の仏法の法体を、末法万年に伝える尊い血脈相承を否定し、血脈御所持の御法主日顕上人猊下に対し奉り、手段を選ばず、あらん限りの誹謗中傷を繰り返しています。このような仏法破壊・三宝破壊の大罪は、堕地獄必定の大謗法であり、まさに創価学会が仏法を破る魔族であることを証明するものです。


 


解説
宗門としては、「唯受一人」の血脈の根拠としてこの「生死一大事血脈抄」を利用したいと思うのは理解できますが、この本文を読む限り、「唯受一人」まで敷衍するのは無理があるのではないでしょうか。

「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」との御文のみが強調され、その大前提となる付嘱伝持の血脈、すなわち、『一期弘法付嘱書』に「血脈次第日蓮日興」と仰せられた「法体の血脈」が蔑(ないがし)ろにされているのです。

とありますが、大聖人の晩年に著されたとされる『一期弘法付嘱書』(身延相承書)を議論の「大前提」とするのは、おかしいと思います。
順番が逆なのです。
現行の日本国憲法を前提として、大日本帝国憲法あるいは聖徳太子の十七条憲法の内容を批判しているようなものです。

ちなみに、『一期弘法付嘱書』(身延相承書)は偽書の疑いがあるとも言われています。
浅学の私には、本当のところは分かりませんが……。


思うに、創価学会は宗門と別れる前は、「唯受一人」の血脈を否定していませんでした。

例えば、『人間革命』第8巻「学徒」の章に次のような文章があります。
この章は、東大法華経研究会の設立前後のことが書かれており、先に創価学会に入会した藤原明(篠原誠がモデル)が渡吾郎(渡部一郎がモデル)を折伏する場面です。

藤原は二度、三度と渡のアパートへ通った。あるとき、渡は意外にも、どこで調べてきたのか、日蓮正宗の存在をよく知っていた。
「あれは君、日蓮宗派のなかでは、最も正統派で、また最も熱烈な教団だよ」
「そこまでわかっているなら、早く入信して、いっしょにやってみないか」
「いや、そう簡単にはいかない」

藤原は飲み残しのコーヒー茶碗を片手にとり、真面目くさった顔で、もう一方の手にとった渡の茶碗のなかへ、冷めた液体をそろそろと注いだ。
「日蓮正宗では法水鶴瓶(ほっすいしゃびょう)といってね、このように器は違うが、なかみは少しも変わることなく、日蓮大聖人の血脈は七百年法灯連綿と続いている。今の猊下で六十四世ということだ」
茶碗から茶碗へ、飲み残しのコーヒーを注意ぶかく注ぐ藤原の仕草を、不思議そうな顔をしてじっと見ていた渡吾郎は、ゲラゲラ笑いだした。
「なんだ、僕はまた、なんか、手品をしているのかと思ったよ」
藤原も噴きだしてしまった。

藤原の折伏は、このようになかなか効を奏さなかったが、入信四か月目の八月――彼は、夏季講習会に誘われて、初めて総本山大石寺で五日間を送った。彼がそこで目にしたものは、彼の経験や教養からは想像できなかった、ぜんぜん別の世界であった。
老杉(ろうさん)にかこまれた清浄な境内、そこに集った人びとの真摯な信仰態度、しかも歓喜にあふれ、いっさいの差別観を一掃した団体行動は、かつて彼の知らないところのものであった。

ここの記述は、現在の改定された『人間革命』では、だいぶ改ざんされています。

渡は意外にも、どこで調べてきたのか、日蓮正宗の存在をよく知っていた。
の「日蓮正宗」は「創価学会」に変えられ、紫色の文字の部分は削除されています。

創価学会が宗門と別れる前は、創価学会員はこの法水鶴瓶の説明をする藤原の姿をすんなり受け入れていたと思うのです。


私の言わんとしていることは、当時の創価学会員は「唯受一人」の血脈相承を認めていたということです。
むしろそれがあるからこそ、代々の法主に御本尊書写の資格があり、信徒に与えられる御本尊の力が備わると思えたのではないでしょうか。

つまり、「生死一大事血脈抄」は「唯受一人」の血脈の根拠となるものではないが、現在の日蓮正宗の基本教学である「唯受一人」の血脈を否定するものではないということです。
創価学会はもはや日蓮正宗とは別の団体なのですから、外部から日蓮正宗の教学を批判することはできない、というのが私の立場です。
ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」と同じで、それぞれの教団が、それぞれのルールを「教学」として打ち立て、それに従って宗教活動をすればいいのです。
「教学」は信仰の支えになるべきものなので、学問的におかしなところがあろうと、文献に偽書の疑いがあろうと問題ないと思います。

そもそも、池田氏は52年路線のとき、なぜ「生死一大事血脈抄」の講義をすることによって、宗門の「唯受一人」の血脈を否定しようとしたのでしょうか。

おそらく、すでに宗門から独立する路線が決まっていて、そのために「唯受一人」の血脈を否定する必要があり、そのために「生死一大事血脈抄」を利用した、というのが本当のところではないでしょうか。

そのために、仏教に造詣の深い友岡さんが率先して協力したということでしょう。

友岡さんの言説も、創価学会と宗門の争いという時代と環境の中で、冷静に評価していかなければならないと思いました。


獅子風蓮