前回、ダライ・ラマを中国が巧妙に陥れようとしたことを書きました。

書き終わって、池田バッシングでよく言及される「マジックインキ事件」を思い出しました。
これも、当事者の幼児やその家族、それを見守っていた多くの学会員にとってはなんのことはない、むしろほほえましい出来事であったのに、池田氏を陥れようとした何者かによってしくまれ、写真が流出したのではないかと、そんなことを思ったのです。

「マジックインキ事件」とはそもそもどんな事件でしょうか。

内藤国夫『スキャンダル・ウオッチング』に次のような記載があるそうです。

反創価学会>掲示板 より引用します。
 


池田大作破廉恥行状記
 

 池田が得意の絶頂期にあった昭和40年代前半、学会の第一庶務室に三人の目立つ美女がいた。Aさん、Hさん、Mさんの三人。いずれも池田好みの容姿端麗派。池田は三人を特に可愛がり、同じく池田の側用人として仕える三人の男子若手有望幹部とのカップリングを思いついた。

相手の男性は特別書籍部(池田の代作・代筆グループ)の原島嵩、桐村泰次、上田雅一の三羽烏である。原島、桐村両人は既に結婚を約束した他の女性がおり、結局、池田の思惑通りに結婚したのは、上田雅一・京子夫妻だけに終わった。桐村夫人になり損ねたHさんは学会本部職員のY氏と結婚し、Y姓となった。一躍、その名が知られたのは、マジック写真流出事件以降である。Y夫妻の間に生まれた長女を、池田は自分の子供であるかのように異常に可愛がり、学会幹部の間で、誰の子供かと噂されるようになった。そして池田が、その長女の顔にマジックインキを塗りたくって、弄んだ。

 その写真が聖教新聞社のカメラマンによって撮影され、外部に流出した。「自分の子供に何をしても構わないだろう」との池田の意図が、裁判で間題にされた。


弁護側 マジックインキを塗ったことは?

池田  あります。

弁護側 この写真のいきさつは?

池田  Yさんの家は私の家から二、三分のところにあり、この子をとても可愛がっていた。四十七年頃と思う。私が三時の休み時間に、皆がなごやかになるであろうとイタズラした。

弁護側 度がすぎるのでは?

池田 子供があんまり可愛いので。聖教新聞の前には子供がよく遊んでいた。

裁判官 誰が面白がるのですか?

池田 自分も喜ぶ。子供も大人も。

(以下省略)

             《『スキャンダル・ウオッチング』68頁》


これが、ネットに転がっていた問題の写真です。


この「裁判」というのは「月刊ペン」事件の裁判らしいのですが、当時の読売新聞に記事が載りました。

 

 


昭和57年10月16日(土曜日)讀賣新聞 8面
池田証言の主な内容より、(マジック事件に関する箇所のみ抜粋)

弁護人 四十五年当時、学会の第一庶務にいた女性の娘にマジックインキを塗ったことは。
証人 あります。
弁護人 なぜ塗ったのか。
証人 イタズラで・・・。ちょうど聖教新聞の休み時間で、みんなで大笑いを した。
弁護人 イタズラにしては度が過ぎるんでは。
証人 子供があんまりかわいいので。
弁護人 (問題の写真を見せながら)この子はあんまり喜んだ顔をしていない。
証人 恥ずかしがっていますね。



池田氏はサービス精神旺盛な方ですから、つい調子に乗って「子供があんまり可愛いので」みんなが喜ぶかと思って、こんないたずらをしでかしてしまったというのです。
その場にいた多くの人が喜ばしい出来事としてとらえたらしい。
その写真を聖教のカメラマンが写真に撮影したわけですが、その写真がどういうわけか、流出したようです。

創価学会では、公式には山友の仕業としているようですが、実際のところは、昭和50年ころ、当時聖教新聞主幹だった秋谷会長が聖教写真出版部に命じてこの写真を探し出し、それを公明党の矢野氏に渡したようです。それが内藤国夫にわたり、マスコミに流れたようです。

はたちチャンネル「創価学会近年史の裏側」にその辺のことが暴露されています。
(動画再生7分過ぎにその事が語られています)

私たちアンチは、アンチの情報はすべて鵜呑みにする傾向がありますが、それぞれの情報は、誰がどういう思惑で流したものであるかを十分に吟味する必要がありそうですね。

ちなみに、池田氏は後に週刊誌情報などを調べた結果、秋谷・矢野が池田氏をマスコミに売ったと知り、激怒したそうです。
当然ですね。
池田氏が、本幹などで、みんなが見ている中、秋谷会長をボロくそに罵っていた(私自身は直接見てないのですが)のも、そういう背景があったからなのですね。


獅子風蓮