海さんとの対話の中で私は、コロナワクチンを患者に打つかどうかは、複雑な要素がからんだ一種の「トロッコ問題」であると考える、という話をしました。

今回は、この「トロッコ問題」を取り上げてみたいと思います。

トロッコ問題とは、ある哲学者が提唱した「人間が道徳心から生まれるジレンマにどう対処するのか」を見るための倫理学の思考実験です。


線路上を走るトロッコが制御不能になり、そのまま進むとAの線路上の5人の作業員が確実に死ぬ、5人を救うためにポイント(分岐点)を切り替えるとBの線路上の1人の作業員が確実に死ぬという状況下で、線路の分岐点に立つ人物(あなた)はどう行動すべきかを問うものです。



トロッコ問題の答え1:ポイントのレバーを引く場合

レバーを引いた場合、あなたはBの線路上の1人を犠牲にすることで、Aの線路上の5人の命を助けたことになります。
もしレバーを引かなければ5人の命が失われますが、レバーを引けば1人の命で済むのです。
助かる命の数を考えれば、この選択をする人が多いでしょう。


トロッコ問題の答え2:ポイントのレバーを引かない場合

レバーを引かなかった場合、あなたはBの線路上の1人を巻き込まず、Aの線路上の5人の命を見捨てたことになります。
本来、トロッコは、自然に任せればAの線路上の5人の作業員にぶつかるものであり、Bの線路上にいた作業員には関係のないものです。
5人の命を救うためとはいえ、事故に無関係の人を犠牲にすることは倫理的に正しいとは言えない。
そう判断した人がこの選択をするのです。

また、レバーを引いて責任を問われるくらいなら、その場を立ち去ってしまった方がいいという考えもあります。
レバーを引かないということは、「無関係でいる」という選択でもあります。

人によって、価値観は様々ですので、必ずしもどちらが絶対的に正しいというわけではありません。
しかし、どちらかの決断をすることが「倫理的な行為」だと言われるのです。
倫理と道徳はいっけん似ている言葉ですが、このように少しニュアンスが違います。

「生命倫理」という言葉がありますが、脳死や脳死体からの臓器移植、体外受精や中絶の問題など、医療や医学の分野では、判断に迷う場面が少なくありません。
従来の古めかしい「道徳」では太刀打ちが出来なくなっているのです。
そこで、トロッコ問題のような思考実験を行ったりして、さまざまな判断を検討していくわけです。
それが「倫理学」なのです。

一定の副反応が避けられないワクチンを目の前の患者に打つこと。
それによって高い確率で、感染症の予防ができる場合、それは「倫理的判断」をしたことになるのです。

さて、上記のトロッコ問題では、レバーを引くという答えを出した人が多いのではないかと思いますが、条件を少し変えるだけで、答えが全く異なる場合があります。

トロッコ問題派生版「太った男」

暴走トロッコが、作業員5人に迫ってくる状況は変わりません。
あなたは橋の上でその光景を見ていますが、今度はあなたの近くにポイントの切り換えレバーはありません。
しかし隣には太った男がいます。
この男は太っていて体も大きいので、線路に突き落としてトロッコにぶつければ、トロッコは確実に止まります。
太った男はトロッコにぶつかり死んでしまいますが、作業員の5人は助かります。
さて、あなたはこの太った男を突き落としますか?

さすがにこの条件だと「太った男を突き落とす」という選択をする人は少ないでしょう。

1人が犠牲になるという結果は変わらないのに、最初の問題とは結果がひっくり返るのです。
これはなぜでしょうか?
結果が同じだったとしても、「自分の手で突き落とす」という直接的な加害行動をすることに罪悪感を感じるわけですね。

参考:知識をアップデートするサイト「ズノウライフ」

最後に次のように条件を変えてみます。

暴走トロッコの先に自分の家族がいる場合

暴走トロッコの先の線路A上には自分の家族が1人います。
線路Bの先には60億人の人間がいます。
あなたはポイントのレバーを引いて、1人の家族を救う選択をするでしょうか。

その場合は60億人の人間を見殺しにすることになります。
それとも、60億人の人間を救うため、あえてレバーを引かない選択をするでしょうか。

倫理的に難しい問題です。
少なくとも、あなたはこの事態を目にして、深く悩むはずです。

 

かりに誰かが、レバーを引いて家族を救う選択をしたとします。

犠牲になった60億人の人間の中には、あなたの愛する家族や友人、これまで付き合いのあったすべての人、罪のない60億人の人間が含まれています。

もちろん、あなた自身も含まれます。

そのすべての人間が、苦しみ、死んでいくのです。

そのことを実感として味わう時、あなたはこの決断をした人間を許せるでしょうか。
なんて自分勝手な人間だと非難するのではないでしょうか。

こんな人間、実在するでしょうか。

 

いるんです。
内海聡氏なら、迷わずにレバーを引くことでしょう。
前回の記事で書いたように、内海氏は娘を溺愛して、こんなことを言っています。

私は自分の娘と60憶人の地球人のどちらかを選ぶかといわれれば、間違いなく前者を選ぶでしょう。

暴走したトロッコの先に自分の娘がいた場合、迷わずにポイントのレバーを引いて、60憶人の地球人を犠牲にしても構わないと言っているのです。

人情としてそのような気持ちを持つことは自由ですが、やはり一人の大人としては言ってはいけない言葉ではないでしょうか。
本に、活字として載せてはいけない言葉ではないでしょうか。
目の前の患者の治療のために家族のことを犠牲にすることの少なくない私たち臨床医には、あまりこんな「正直」な言葉は言えませんね。
そもそも、内海氏は医者になりたくなかったんだから、それでいいのかもしれませんが。

このような、虚無的で利己的な人間に、倫理を語る資格があるとは思えません。
反医学も反ワクチンも、きわめて倫理的な問題をはらむ主張なので、内海氏には、そのような議論をする資格さえあるとは思えません。

獅子風蓮