対話ブログでは、なかなかシニフィエさんと議論がかみ合わず、私も消耗してしまいました。
1月30日を最後に撤退したのですが、最近になってSGKMKパクリ事件というのが勃発したことを知りました。
最初、ブログ主のシニフィエさんは、事態の重要さに気づかなかったようで、SGKMKさんの問題のコメントを、SGKMKさんの要請で削除してしまったようです。
その後、当事者(パクられた被害者)のことを心配した方が勇気を持って、告発されました。
問題はこじれたようですが、シニフィエさんは被害者の方と告発した方に謝罪していました。
誠実な対応だったとおもいます。
しかし、その後、ハルキさんが、このお二人を侮辱するような内容のコメントを書きました。
このスレッドの中で、お二人に公式に謝罪しておきながら、このような内容のコメントをそのまま載せるシニフィエさんの鈍感さに腹が立った私は、お二人の気持ちを考えると居ても立っても居られなくなり、対話ブログにコメントを書きました。
引用します。

今回のことは、きっかけはSGKMKさんの卑劣なパクリ行為だったかと思いますが、その後のシニフィエさんの対応には疑問が残ります。
私の時と同じように、取り巻き連中に自分の言いたいことを言わせ、肝心のSGKMKさんのコメントは削除して、何に対して〇〇さんや△△さんが怒っているのか分からなくしているのです。
公平ではありません。

とくに、2021年2月3日 16:22のハルキさんのコメントはひどいですね。
腹が立ちました。
公式には〇〇さんや△△さんに謝罪しておいて、このようなコメントをそのまま載せてしまうシニフィエさんは、もはや確信犯で、SGKMKさんと同罪ではないかと思ったりします。
いや、もっとズルいかも。


シニフィエさんにとっては耳に痛いことばで、きつかったかもしれませんが、私の偽りのない気持ちです。
シニフィエさんとシニフィエさんを支持する、何人かの人の気持ちを傷つけてしまったのかもしれません。
「取り巻き連中」という言い方はよくなったかもしれません。
シニフィエさんに激励のコメントを多くの人が寄せていることは事実です。
でも、その人たちを、ひっくるめて「取り巻き連中」と言ったわけではありません。
具体的に名前が浮かぶ、数名のことを想定しながら、「取り巻き連中」と言ったのです。
言い方がきつかったなら、謝ります。

でも、シニフィエさんから、本筋の批判に対する答えが聞けなかったことにはがっかりしました。
前スレッド(獅子風蓮さんとの対話)の最後に、シニフィエさんに対してアドバイスさえしたのに、完全スルーされてしまいました。

引用します。

しかし、シニフィエさん、ここは考えどころですよ。
私の批判の中で、とくにハルキさんのコメント(2021年2月3日 16:22)を何の配慮もなく載せたことは、SGKMKパクリ事件の当事者である〇〇さんと、勇気をもって告発した△△さんの心をものすごく傷つけたことであると気が付きませんでしたか。
もし気が付かなかったというのなら、おそろしい鈍感さです。
よく考えて、〇〇さんと△△さんに謝罪した上で、ハルキさんにも警告を与え、その上で、ハルキさんのコメントを削除するべきです。
どうして、誰も、そのことを指摘しないのでしょうか。
やはり、シニフィエさんとその取り巻き連中の意見に沿わない内容のコメントをするのは怖いんですよね。


もう私は対話ブログにコメントを寄せないと決めたので、私のブログにことの顛末をのせました。
シニフィエさん、ご了承ください。

さて、今日、新しいスレッド(しばらく休止します。)に書かれている内容を読んで驚いてしまいました。
1月24日にHELL of HOPEという名前で非公開の衝撃的なコメントがあったことを持ち出し、私の「言葉が、 HOPEさんにとってはたまらなく屈辱的な言葉としてしか映らなかったのだと思います」と書いてあります。
私の言葉のどこがHOPEさんを傷つけてしまったか分からずに、私は困惑してしまいました。
でも、なんにしろ、私のコメントがHOPEさんを傷つけてしまったのなら、直接理由を教えてもらって、謝るところは謝りたいと思います。
どうか、HOPEさん、対話ブログにコメントを書くのは敷居が高いかもしれませんから、こちらのブログにコメントを寄せてくれませんか。

HOPEさんがこれまで、創価学会の中で辛い思いをしてきて、その思いをシニフィエさんのブログで吐き出したところ、何人ものメンバーが温かく受けてめてくれたこと。
私もリアルタイムで読んでいましたから、知っています。
なんて温かいブログだろうと、感動しました。
私も仲間に入りたくて、最初の投稿を行ったところもあるのです。

「2020年大晦日」というスレッドの2021年1月11日 15:08の「HELL改めてHOPEです」というコメントで、HOPEさんは次のように書いています。
引用します。

(皆さん、ここにおられる皆さんは日蓮仏法自体を否定されてる所で、
私だけ、今だに日蓮仏法だけは何だか別…みたいな事ばかり言っているみたいで申し訳ありません。

最後にひとつ、
別に私は日蓮正宗や日蓮仏法を擁護とかしているわけではありません。
信頼出来る人との関わりが一切無く、
まだまだ人は信用出来ないと警戒している事から南無妙法蓮華経だけがまだ心の中に闇深く残っているので、まだまだこういった意見しか言えません。)


この時のHOPEさんは、むしろ私の立場に近かったのではないでしょうか?
創価学会組織の悪からは逃げ出したいが、日蓮仏法は捨てがたいと。

その後、HOPEさんは、この時期にはしょうがないことではありますが、心の不安定なところをシニフィエさんにぶつけたりしていますよね。
引用はしませんが、
2021年1月16日 22:04のHOPEさんのコメントと、その後のシニフィエさんのコメント(2021年1月17日 01:54)を読むとよく分かります。
この時の、シニフィエさんの助言は素晴らしかったと思います。
2021年1月17日 21:37のHOPEさんのコメントを読むと、HOPEさんの気持ちがだいぶ落ち着いてきたことが分かります。
その後、私が対話ブログにコメントを寄せるようになり、シニフィエさんは、HOPEさんのためにもブログが荒らされるのを心配して、私に過剰に警戒心を持ったということでしょうか。
そうとも知らない私は、自分の主張を、信じるままにしていったことで、シニフィエさんと私の議論が噛み合わなくなり、それがストレスとなり、HOPEさんの心がまた不安定になったということでしょうか。

でも、そんなことを今になって言われても困ります。
むしろ、私は個人が持っている信仰心は大切にしたいという立場ですから、HOPEさんの気持ちにそったアドバイスができたのではないかと悔やまれます。
むしろ、御本尊や日蓮を侮辱するような言葉をはいた、シニフィエさんとその周囲の方の言葉が、HOPEさんの気持ちを逆なでしたということはありませんか?
その辺は、HOPEさんのコメントが非公開になっているので、分かりません。

そこで、HOPEさん。
私のブログにコメントを書きませんか?
HOPEさんは、頭のいい方だと思います。私の言葉が伝わらないはずはありません。
気持ちの不安定になった時だけでもいいので、気楽に声をかけてください。
私は、キリスト教であろうと、浄土真宗であろうと、日蓮仏法であろうと、個人の信仰を尊重します。

獅子風蓮でした。