「寄付文化が根付いている欧米と比べて日本は遅れている」
そうした内容の論調を見かけることがあります。
私は、実家が阪神淡路大震災の被害を受け、亡くなった友人もいることから、その後の大地震の際には、いくばくかの寄付を続けており、冒頭の発言についても「その通りだ」と感じていました。
しかし、最近考えさせられることがありました。
英国で長く仕事をしている友人が一時帰国した際に「Patriotic Millionaires UK」という団体について話してくれたのです。
Patriotic Millionaires UKは「自分たちのような富裕層にもっと税金を課して、真っ当な福祉政策を実現してほしい」という運動を展開しており、友人の取引先企業の会長も活動者の一人とのこと。
「そんな運動をするくらいなら寄付すればいいじゃないか」
多くの人がそう思うでしょうし、当初は私もそう考えました。
ところがPatriotic Millionaires UKは「持てる者が『自らの関心の赴く対象』に寄付することは、社会全体として本当に良いことなのか」という問いかけをしているのです。
どういうことなのか。
例を挙げると、能登半島地震で両親を亡くした子供が報道された際には著名人を含む多くの寄付が集まりましたが、報道されなかった事故で両親を亡くした子供に寄付が集まることはまず考えにくい。
2001年アメリカ同時多発テロでは、世界中から巨額の寄付が犠牲者・遺族に届きました。
一方で、同じ時期に内戦や干ばつで何万人もが食糧危機に陥ったアンゴラやリベリアに目が向けられることはほとんどありませんでした。
メディア等に取り上げられて、持てる者に目をかけられた団体や個人には寄付が届き、そうでなければ何も届かない・・・
寄付というのはそういう不公平性から逃れることが難しいのです。
そうした不公平に陥ることのないよう、目立つ・目立たないにかかわらず、本当に必要とされているところに満遍なく目配りして支援するのは、政府や自治体の役割の一つでもあるはず。
そのために、政府や自治体は「規制をかける力」をもっているのです。
規制というのは「福祉」という側面も持っています。
法理論に基づいてもう少し正確に書くと、規制には2つの種類があって、ひとつが社会の害悪を防ぐための自由の制限、もうひとつが弱者救済のための強者の経済的自由の制限です。
後者によって得られた税金を基に、社会的弱者や災害被害者等をあまねく見渡して、どこにどの程度分配するのが公正(フェア)なのかに目配りしていくことが、政府や自治体の本来の役割の一つなのです。
もちろん、政府や自治体がそんな理想通りに動かない事は誰もが分かっていますが、だからといって政府や自治体に代わって、持てる者が恣意的にお金の配り先を決めていいのだろうか。
決して簡単な道のりではないが、公平な目配りをし、効率的に機能するように政府や自治体を促すことは国民の努めではないのだろうか。
そのためにも、社会のおかげで持てる者になった人々が応分の負担をすべきである。
Patriotic Millionaires UKはそう考えて行動しており、メンバーの多くは特定団体への寄付ではなく、自治体に「これを公平な目配りをして使ってもらいたい」と念押ししながら寄贈しつつ、「もっと(我々のような)富める者から税金を取って、きちんとした福祉政策をやってほしい」と主張し続けているのだそうです。
また「持てる者が寄付することは、寄付者にある種の優越感をもたらすことも寄付の負の側面と言えるのではないか」
Patriotic Millionaires UKはそうした点にも言及しているようです。
政府や自治体の活動が透明かつフェアで効率的かと言えば、おそらく世界中ほとんどの人々が「そうではない」と答えるでしょう。
「政府や自治体に任せていたら、お金を無駄に使われるからこそ、自分が直接寄付する」と公言している人は数多くいますし、「自分のお金を自由に、それも良いことに使って何が悪いのだ」「寄付は尊い行為じゃないか」と考える人も多いはずです。
そうした発言に一定の理があることを私も認めます。
ただ、助けを必要とするすべての人々を個人レベルで把握することは現実に不可能ですし、持てる者が「たまたま興味を抱いた」団体や個人にお金を渡すことが社会全体として良いことなのかと問われると、考えさせられるのもまた事実です。
世界的IT長者の多くは、自らが「良」とする団体等に多額の寄付をしていますが、税金を取られることについては高額の弁護士費用を払ってでも可能な限り避けようとしています。
世界中どこの国でも「政府や自治体は効率が悪い。役人はダメだ」といった論調が幅を利かせがちです。
それでもなお、日本を含めて多くの国々では、政府や自治体があるからこそ、安心して暮らせているのもまた事実です。
世界には無政府状態の国や地域が数多く存在しています。
暴力装置を抱え込んだ人間や組織が国や地域を牛耳っているケースもあり、自分たちに従うものには恩恵を与え、逆らう者には暴力という鉄槌が下される。
曲がりなりにもそういう事態を招くことのない政府や自治体をもっていることで、私たちの暮らしは成り立っているとも言えるわけです。
「役所はダメだ」と言ってしまうのは簡単ですが、それをより良いものに変えていく努力や希望をあきらめてしまっては、私たち自身も「ダメ」なのかも知れません。
寄付は相手が目に見えますし、自己満足度も高い。
それでも、民主主義の根幹をなす「公平性」を考えたとき、持てる者が税金をもっと払うことで、それを実現していこうとする姿勢こそが王道なのかも知れないのです。
私自身は、今すぐ寄付を辞めようとは思っていませんが、Patriotic Millionaires UKが主張していることは、政府・地方自治体の存在意義や私たち自身の関わり方・税金の使われ方等について考えさせられる内容を含んでいることは事実だと思います。
少なくとも寄付について簡単にイエス・ノーと言ってしまう前に、じっくりと考えてみるべき課題ではないかと感じます。