選挙で当選した政治家や多数派になった政党が「民意を得た」と誇らしげに語るシーンをよく見かけます。
しかし「現在の選挙制度での多数決は、本当に『民意を得た』と言っていいのか」と問題を投げかけるのが「多数決を疑う」という本です。
当選者を決めるような意思集約方式=「社会的選択理論」は古今東西多くの学者が研究対象にしており、著者もその一人です。
一口に「当選者を決める」と言っても、実に多種多様な方法が存在しており、主要なものだけでも以下の5種類があります。
1)「単純多数決」
:過半数にこだわらず最多得票を当選とする方式。日本の選挙の大半はこれ。
2)「決戦投票付き多数決」
:過半数を得る候補者がいない場合に、1位と2位の決戦投票を行う方法。
自民党総裁選やフランス大統領選で採用されています。
3)「最下位消去方式」
:過半数の票を取る候補者が出るまで、最下位を落としながら投票を
繰り返す方式。
オリンピックの候補地選定はこの方式です。
4)「ボルダルール」
:1位に10点、2位に5点、3位に3点・・・のように順位に点数を与え、
総得点で当選者を決める方法。
スロベニアやキリバス・ナウルなどの選挙で使われています。
5)「最尤法」
:少し複雑なので説明は省きますが、全候補者同士で1対1の勝敗比較をし、
最強となる候補を選ぶ方法です。
この他、アメリカの大統領選挙は州ごとに選挙人を選ぶ間接選挙で、2000年の大統領選挙では、ゴア候補が一般投票者数で上回ったにも関わらず、選挙人数の差でブッシュ候補に敗れました。この選挙では、ゴアと支持者が重なるネーダー候補が第三の候補として突如立候補し、ゴア票を浸食したと言われています。
アメリカ大統領選挙が上記1)~5)のいずれかの方式であれば、どの方式でもおそらくゴアが当選していたでしょう。
どの選択方式を選ぶかで、当選者がガラッと変わることは現実にも頻繁に起こり得ます。
実は、5人の候補者がいる場合に、上記1)~5)のどれを採用するかで、当選者が5通りの(全く異なる)結果になる可能性があることが学問的に証明されており(マルケヴィッチの反例)、この本でも詳しく紹介されています。
こうなると「選挙で民意を得た」のではなく、「ある投票方式で勝利しただけ」としか言えませんし、著者も「選挙で採用されている多数決とは、実はそういうものである事が多い」と述べています。
特に、現在の衆議院小選挙区は「最多得票者が1人だけ当選する」仕組みで、死票が多いことは以前から問題になっていました。
死票の多さは、有権者全体に目配りするよりも岩盤支持層を作ろうという誘惑にかられがちになり、過激な主張が多くなる傾向があるとも言われています。
民主主義とは多数派主義ではありません。
アメリカの大統領は当選した際に「私はすべてのアメリカ人の大統領になる」と発言するのが慣例のようになっており、一期目のトランプ大統領もそう言っていました。
多分に修辞的ではあるものの、民主主義とはそういうものであるという理解はしているわけです。
その民主主義の根本原理が忘れられつつあることが、世界中で政治的分断が進んでいる大きな理由なのではないでしょうか。
では、多数派を尊重しつつ少数派にも目配りできるような政治家を輩出する選挙方式はあるのでしょうか。
この本の著者は「どういう選択方式を採用しても一長一短があり『これがベスト』という選択肢があるわけではないが、多数派を尊重しつつ、少数派を含めて全体に目配りできる政治家を選べる可能性が高いのはボルダルールだろう」と述べています。
主張の異なる他候補支持者からも「2番目・3番目」に推してもらえるような目配りの利いた主張をする候補者が多くの得点を得る可能性が高いからですね。
ボルダルールは集計処理に時間がかかるので、小国を除いて従来あまり使われてこなかったのですが、ITが発達した現代であればそうした課題もクリアできますから、もっと採用されていいのではないか、というのが著者の主張で、私も同意します。
私たちは政党や候補者には目を向けますが、選挙の根幹、いや民主主義の根幹である「選挙制度をどうすればいいか」については、真剣に議論することがあまりに少なかったのではないか。
この本はそんな気づきと反省をもたらしてくれました。