広島県廿日市市ネタを


私は広島県立廿日市西高等学校の1期生です。


30数年も前の話です。


私は廿日市西高等学校に入学しました。


入学生を迎えてくれるのは先生だけ。


そう私たち1年生しか居ないのですから。


未完成の体育館、校舎は1年生分。


全てが1年生分しか無い未完成の始まり。


体育の授業は石拾い、体育祭は1年生だけなので


最初から最後まで出っ放し。


文化祭も合唱祭のみ、バンド演奏が2年生から


お店は3年生からだったと思います。


全てが自分たちで企画運営。


皆んな忙しかった記憶しかありません。


クラブ活動はみんな道具のない環境から


吹奏楽部も音楽室も無く、楽器も無く


毎日毎日フルーツバスケットをして


コミュニケーションを深める笑


楽器が納品された時の嬉しさは一生の思い出


みんなで嬉しくて嬉しくて。


クラブ活動が出来る。


音楽が出来る。


3年生になる頃には部員も40名を超えてました。


クラブ活動が毎日の楽しみだったなー。


希望に包まれていた高校時代。


初めてだらけの一期生だからこその思い出。


初めから作り上げる、希望を持つ。


私たち一期生はこの心を社会人になっても


持っていたはずです。


廿日市市の阿品台に小学校、中学校、高校が


あって姉妹校に廿日市特別支援学校がありました。


いまでも元気な若者が居る街は活気があります。


この活気を失わせたらいけません。


希望を持てる未来を支えるのは私たち大人の


役目です。


そんな街、広島県廿日市市にしなければ。


車いすが廿日市を変える!