文明は暮らしを豊かにしてきたが、

謙虚さ、感謝、我慢を摩滅させる。

もっともっともっと。

 

気候変動も裕福な生活スタイルの

過剰消費が原因である。

 

現代人は商品や貨幣に頼らずには

生きられない。

生きる技術や自律性を失っている。

 

だから消費第一の生活スタイルを

変えない限り、脱炭素社会は夢で、

ただの現実逃避である。

 

人が生きる上で最も大切な生活を

高等教育を受けると知識を崇拝し、

小ばかにするようになる。

これがダメなんだ。

 

しかし、良くも悪くも、コロナが

一石を投じた。

 

都会、電車、会食、飲み会などの

消費文化、習慣を不要とした。

 

生活するのに、本当に必要なのは、

家族や仕事や金だと気付いた。

 

成熟社会のイギリスは知っていた。

日曜は休みで、24時間営業はなく

午前0時の町は暗い。

 

日常が淡々と過ぎていく生活こそ

当たり前だと知っていたのだ。

 

一方で、原始社会のボロロ族では、

野生思考で歴史の変化を許さない。

だから生活水準も上がらない。

 

では、我々日本人はどうか。

戦後の発展途上だった昭和日本は、

おおよその給与も推測可能であり、

人生設計もローンも組めた。

 

この伝統的な昭和的価値観の中で、

ケア労働を女が担い、市場労働を

男が担うのが当然とされた。

 

そして市場労働のみが評価されて、

家事、育児、介護、地域活動等の

ケア労働は軽視されてきたのだ。

 

マルクス曰く、労働とは第三者に

移転可能な行為。

 

家事・育児・地域活動のみならず、

妊娠出産も移転可能な時代となり、

労働と言える。

 

食事や睡眠は、移転不可能であり、

労働とは言えない。

 

そして女達は、こうした社会への

反発やマルクス思想を引用しつつ、

クロワッサン症候群に罹患する。

 

雑誌クロワッサンが、お一人様を

推奨し、流行した思想である。

 

この病により、多くの普通の女が

タレントの真似をしてお一人様を

取りいれて、少子化や貧困などの、

今では取り返しのつかない事態を

引き起こしてしまった。

 

終わったことは取り戻せない。

だから、これから気を付けよう。

 

人間の生活とは退屈と気晴らしが

入り混じったものだ。

 

足るを知り、暇を大切に生きよう。