自分の望む人生の量を、自分で決める。
なにが悪いのだろう。
人を救う病室は、死と戦うものがある。
患者の幸せや救いを考えたものはない。
安楽死は殺人でなく、よく生かすこと。
本人も家族も長寿国を持て余している。
家族や社会の負担を減少させるために、
日本でも安楽死を法制化してはどうか。
死は生きていて享受できた良いことを
はく奪するから悪いとされる。
逆に生きていても、悪いことしかない
将来を奪うなら、快楽、外的な繋がり、
生きる価値、希望もなにもないならば、
死は良いことになる。
収容所でも、未来への希望がない者は
糞尿にまみれて死んだ。
人は失望により死ぬ。
逆に、家族に会いたい、収容所体験を
書き残したいなどの、希望を持つ者は、
一部生き残って救われた。
また漂流者が飢えや渇きで倒れるのは、
生理的な欠乏よりも恐怖。
恐怖に支配された時、死が始まる。
食べるために働いて、食べるために働く。
誰にも必要とされない。
一人だと死にたくなる。
死が怖いのは、痛みと死自体。
痛みには鎮痛剤、死自体には死んだら
終わりという割切りがあれば怖くない。
死に直面した時、自分なら延命しない、
してもらいたくないと家族に伝える。
大切な人が罪悪感を抱え込まないよう
配慮することが、大人の死に方だ。
