死に想いを馳せることは価値ある体験だ。

何故なら本気で死を意識するから。

 

人は自分が死ぬなんて思っていない。

不死身だと感じて生きている。

 

しかし、人は死ぬのだ。

生きるとは、死に向かって歩いていく旅。

どう死ぬかはどう生きるか。

 

死は生の対極としてではなく、その一部。

死は己の存在の中に含まれている。

死からの逃避は、生からの逃避でもある。

 

それに気づき、受入れて、覚悟を持てる者が

本当の生に目覚めた者となる。

 

では、死とどう向き合えばいいのか?

肝心なのは、死に触れ、見て、考えること。

 

家族を亡くす、己が死にそうな経験をした者は、

勝手に生の偉大さに気付いていく。

 

具体的に死を意識するとどうなるのか。

ハイデガー曰く、「堕落から抜ける」という。

 

死を覚悟することは、しっかり生きること。

死とは生を完全燃焼させるスイッチである。

 

ある死刑囚は、処刑の数日前に死を覚悟して、

精神を真面目に考えることができた。

 

またある人は、寝る前いつ死んでもいいように

今日までありがとうございましたと感謝する。

 

またある戦士は、戦場で死ぬかもしれないから

妻の写真を目に焼き付けた。

 

死の観念がなければ無駄に時間を使う。

死が追い立てているから時間を有効に使うのだ。

 

サムライが情熱的なのは死から目をそらさずに、

「この命を何に使おうか」考えていたから。

 

近藤勇、土方歳三も35歳で死んだ。

人生100年時代、人間もひ弱になるもんだなあ。

 

瀕死の人の後悔で多いことは、働きすぎたこと、

素直な気持ちを家族や友人に言えなかったこと、

初恋を成就できなかったこと。

 

たいがいの人生はこんな風に終わるのだ。

この世に悔いを持たぬ人はいない。

ただメメントモリで、悔いの数は減らせる。

 

生まれた時、あなたは泣き周りが笑う。

死ぬときは、あなたが笑って周りが泣くような

そんな人生を送りなさい。

 

あなたが死ぬとき、幸せだったと思えるように。