死の身体説。死んだ時が人の死。

死の本質は謎めいたことはない。

 

機械と一緒で、身体が作動して壊れる。

ただ、それだけの事。

 

一方で脳死を人の死とする人格説もある。

信念、記憶、欲望等の人格が存在ないなら

死とする考え方だ。

 

ただ人格の喪失だけで死と呼ぶのは不十分。

睡眠時や昏睡時には生きているんだから、

この説は破綻している。

 

そして唯物論者は、人が死ねば終わりとし、

全て無意味と感じて快楽主義者になる。

 

他方で唯心論者は、死を終わりとはせずに

生命は前世の積み重ねとする。

 

生とは天が目的を与えて労せしめることで、

死とは天が彼に休息を与えることと考える。

 

死は人生の終末ではなく、その途中。

生涯の完成である。

 

結局、人の死とは生きているその人と二度と

実際に会えないということ。

 

それ以上でも以下でもない。

心の中では生き続けているのだ。

 

生物は進化の過程で死ぬ個体が選ばれてきた。

不死の生物では繁栄しない理由があるのだ。

 

生物が死ななければならないのは多様性のため。

変化と選択を繰り返し、連続性を作っていく。

 

一定の年齢になれば、死を受け入れることだ。