ギャンブルには流れがある。
10回連続で黒が出たら、次も黒に賭ける。
確率論より流れを大切にする。
博打は負け星を一定貯めてから打つもの。
勝っているときに敢えて負けの局面を作り、
運を支配する。
そのうちだんだん運の限度がわかってくる。
プロは限度まで使ってやめるんだ。
年を取ると運がつくことが少なくなるから
引き際が大切になる。
金のあるなしなら無い奴が勝つ。
余裕があるとスキが出て実力がでない。
そんなものだ。
実は人生も同じ。
いい時や悪い時、金のある時とない時。
若い頃は、博打で人生の浮き沈みを学べる。
ただ、飲む、買う、打つ(博打)が必要なのは、
明日の命もしれない根無し草だけ。
普通に生きるためには所詮不必要なものだ。
ただ、その普通に生きれない一定の人たちは、
パチンコ玉や麻雀パイやで語り合っているし、
その付き合いを気に入っている。
勿論、その人(パチプロ、雀士)たちの晩年は
ご多分に漏れず不遇となるのだが…。
それもまた人生か。