皆の衆!元気にしておるか?
隼之記(はやてのしるし)を見に来ていただき誠に嬉しき次第。
皆々、熊本城で唯一の水堀はご存じであるか?
御幸坂横、飯田丸五階櫓の下にある堀が、その名も”備前堀”にござる。
加藤家家臣、佐々備前守の屋敷が近くにあった事から、この名前がついておる。
この水堀は熊本城で一番低い位置にあり、城内の石垣の隙間などから染み出る水と、湧き水の二種類の水にて形成されておる。
実は、この備前堀のある場所に、築城当時は白川が流れておったのじゃ。
白川は元々大きく蛇行し、熊本城下まで続いており、暴れ川であった事は知っておる者も多いと思う。
清正様はそれを利用せんと、坪井川と切り離し、現在の流れへと河川改修いたした。
改修により洪水被害を抑え、坪井川は自然の内堀、白川は自然の外堀として利用した訳にござる。
最近の調査にて、備前堀内の地質を調べたところ、河川堆積物と火山噴出物でキッパリと分かれておる場所が出て参った。
この部分じゃ。
これを見れば違いがはっきりと見て取れる。
この後も調査が進み、皆々にも分かりやすい形で痕跡が出て来る可能性がある!
楽しみに待っていただきたい。
そして!備前堀の水が抜かれておるのは今だけじゃ!
皆々是非とも自分の目で確かめに参ってくだされ。
ここまで見てくれた者よ、ありがとうござる。
この後も清正様をお支えし、精進して参る。
隼人